小林信彦『私の東京地図』を読みながら:続き
前回この本を読んで感想を書いたが、実は冒頭の20頁くらいで終わっていた。全体を通して一番驚いたのは、小林信彦氏が東陽町の「ホテルイースト21」を気に入っていること。あの一帯ができたのは1992年だが、彼は93年に「毎日」に下町を舞台にした長編『イーストサイドワルツ』を連載する時に、「毎日」の記者に勧められたという。
「下町のホテルとはなあ、と思いながら行ってみると、地下鉄の東陽町駅から歩いてすぐだし、ホテルもなかなかのもので、特にプールが立派だった」「私はすっかり惚れ込み、以来、今日まで、年に二回は宿泊することにしている」
あの場所は奇妙だった。東陽町駅からいかにも下町風の道を歩くと、忽然とホテルやショッピングセンターが現れた。ゼネコンの鹿島建設が自社の資材置場に建てて自ら保有している珍しいホテルで、周辺の平屋住宅や駐車場を地上げ屋が札束を持って買い漁ったという噂が絶えなかった。確か中曾根康弘元首相も関与していたはず。
バブル期の産物だし、ゼネコンが自社物件で建てたから、大理石がふんだんに使われた異様に豪華な建物だった。私はこのホテルはよく通った。1997年に東京都現代美術館で開催した「ポンピドー・コレクション展」の担当で、フランスから展示作業や開会式にやってきたフランス人のべ30人ほどがここに泊まったから。
若いフランス人達は、豪華なホテルとショッピングセンターが楽しくて仕方がない様子だった。当時は4階までショッピングセンターがあって(今は1階のスーパー以外はオフィス)、何でも手に入るパラダイスだった。彼らはこのホテルから歩いて15分の現代美術館に通った。「フトシ、とにかくすごいんだから」と言われて部屋の中も見たが、とにかく豪華で大きな窓からの眺めもよかった。
小林氏が気に入ったのは、ホテルに知り合いが多かったこともあるようだ。「レストランのフロアを歩くと、やたらに私の名前を呼ばれる。鉄板焼きの職人は新宿の某ホテルにいた人で、中華料理屋のマネージャーは新宿の別のホテルにいた人だった」「窓から見下ろすと、家々の軒が低い。これはいいなと好感を持つ。/それから17年たった現在、鉄板焼き店の窓の外はビルばかりになった」
私はあのホテルには、展覧会の後は2000年頃か中条省平さんの結婚式で一度行ったきりだ。今度現代美術館に行った時は、帰りに寄って何か食べようかな。
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