刺激を求めて都写美へ
朝から原稿書きで朦朧とした頭を冷やそうと、夕方東京都写真美術館に出かけて3つの展覧会を見た。「写真」は私にとっていい刺激になる。美術と映画の中間といったらいいのか、静止した画像が動画よりも強力なことが多いのが不思議で、時々見たくなる。
今回、一番おもしろかったのは、10月31日までの「イマドキの野生動物 宮崎学」展。実はこの動物写真家は全く知らなくて、「キツネ目の男」としてグリコ・森永事件で疑われた同名の評論家、小説家が写真を撮るのかと勘違いしたくらい。「キツネ目の男」というくらいだから、キツネの写真もあるかと思った。
実際にキツネの写真もあったが、この写真家は「美しいもの」として野生動物を撮っていない。例えば港に捨てられた魚を食べるカラス、骨ばかりになったニホンジカの死体を食べに来たテンなどの写真がある。あるいはニホンジカの死体がカラスやタヌキやテンやキツネが次々にやってきて食べてゆくさまを、8カ月かけて撮った10枚ほどの写真を組み合わせて動画のように見せる。
30枚ほどのフクロウの写真がいい。あの大きな目を見るだけで親しみが湧くし、獲物であるネズミを襲い、何度にもわけて巣に運ぶ懸命の姿に和む。メスはそれを食べ、卵を産む。ヒナが生まれ、どんどん大きくなる。オスはどんどん獲物を届ける。
あるいは工事現場に現れたニホンザル、廃屋のトイレをあさるシカ、霊園のお供え物を狙うタヌキやカラス、新宿の繁華街で生ごみをあさるアラウイグマ、福島原発の立ち入り禁止地区を出入りするブタなど、「イマドキの野生動物」は大変だ。三脚のカメラで写真を撮るような恰好のツキノワグマの大きな写真もあった。
10月10日までの「山城知佳子 リフレイミング」展は、スクリーンに映される動画のインスタレーションがおもしろかった。大きな部屋で正面に大きなスクリーンがあり、右手と後ろにも小型のスクリーンがある。それらが写すのは、現代沖縄に残る土俗的なお祭り感覚を求める男だったり、埋め立てられていく基地予定地だったり、旧日本軍の飛行機の残骸だったり。
そしてどの動画にも写真にも、たゆたう海に浮かぶ感覚がある。沖縄の現在を生きながら、歴史や記憶も忘れず、まっすぐに自分とその周りを見つめる姿が浮かぶ上がって来て、心に響いてきた。
10月31日までの「リバーシブルな未来 日本・オーストラリアの現代写真」は日豪4人ずつのグループ展。大震災後の「復興」する過程の陸前高田を撮った畠山直哉の連作に一番見入ってしまう。これが「復興」とは。
都写美はそれぞれの展示空間は小さめだが、2つか3つの展覧会を見ると、脳のあちこちがズキズキと刺激される。
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