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2021年9月15日 (水)

『ONODA』に感動する

10月8日公開のアルチュール・アラリ監督『ONODA  一万夜を超えて』を試写で見た。今月23日公開の『MINAMATA』もあるし、外国人監督が「日本」を撮る映画が増えた気がする。今年は韓国の監督が日本の三菱重工爆発事件を追いかけた『狼を探して』というドキュメンタリーもあったし、数年前にはスコセッシ監督の『沈黙』もあった。

ただし、『MINAMATA』も『沈黙』も舞台は日本でも、中心となっているのは外国人だ。あくまで「外国人の視点から見た日本」なので、少しヘンでも当たり前だ。ところが『ONODA』にはエキストラを除くと日本人しか出てこない。

そのうえ174分もあって、森林の中でたった1人で30年を生き延びた小野田さんをどう描くのか、心配だった。ところがそれは杞憂で、3時間近くほとんど退屈せずに見終わり、終盤は感動してしまった。

この監督は長編第一作『汚れたダイヤモンド』(2016)が、最近珍しい、よくできたフィルムノワールだった。込み入った家族の復讐話がテンポよく進み、かつ長年の宿命のようなものが全体に色濃く出ていて奥が深かった。

今回もその宿命の感じはある。小野田寛郎(遠藤雄弥)は勧められて陸軍中野学校二俣分校に行く。そこで教官の谷口(イッセー尾形)に教えられたのは「何が起きても必ず生き延びること」だった。谷口は「必ず迎えに行くから」とも言った。中野学校の教えが脳に住み着き、小野田は30年近く森に籠る。

冒頭に1974年に日本人の青年旅行者(仲野大賀)が、小野田を訪ねてゆくシーンが写る。それから1944年に特攻隊に志願せずに、中野学校へ行く場面となる。ルバング島に派遣され、遊軍指揮を命じられるが兵隊たちは若い小野田になかなか従ってくれない。敵からの攻撃や脱走もあって、何十人もいたが部隊がとうとう4人になり最後は小塚(松浦祐也)と2人になる。

遠藤雄弥が小野田を演じる前半は1950年まで。日本から捜査隊が来て、小野田の父がマイクを握るが、小野田は謀略と信じて疑わない。それでも彼らが残した新聞を読み、トランジスタラジオを聞いて小塚と2人でいろいろ考える。

それから1969年になり、小野田と小塚は津田寛治と千葉哲也が演じる。最初は違和感があったが、この2人の老い方がいいというか、長年森の中で暮らした感じが出ている。だからこれ以降、かなり感情移入してしまった。旅行者を演じる仲野大賀の70年代風のノリもよかったし、彼が小野田の昔の教官の谷口を連れて再び現れた時にはじんと来た。

全編日本語でフランスの監督がよくやったと思う。前半少し話がわかりにくいが、後半は抜群にいい。特に津田寛治の描き方が繊細で、本当に小野田寛郎に見えてしまった。本来ならば日本の監督が作るべき内容だったが、日本人はあまり映画で自らの過去をきちんと振り返っていない気がする。ネタはいくらでもあるので、昭和の出来事をもっともっと映画にして欲しい。

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