圧力鍋の思い出
先日、新聞に挿み込まれたチラシを見ていたら、圧力鍋の安売りがあった。何の気なしにそれを見ていたら、40年ほど前の日々が忽然と蘇ってきた。前にもここに書いたが、私は高校2年生の時に突然肝炎にかかり、長期入院をした。
半年ほど入院して3年生になって半年ほど高校に行き、また入院してそこから受験をし、合格後は1年間休学して数カ月入院後に自宅療養をした。特に薬はなく、高たんぱくだが低脂肪の食事がいいとのことで、病院ではささみや白身魚がよく出た。
自宅で療養を始めると、母は漢方を買ってきたり、鍼灸院につれて行ったりと知り合いが勧めるものを何でも試した。祈禱師のような人が家に来たことさえあった。そんな母の試みの一つに、玄米ご飯というのがあった。玄米が体にいいらしい。玄米を炊くには圧力鍋が必要だと、母はどこからか電気式の圧力鍋を買ってきた。
夏頃に病院から自宅に戻り、母は毎日玄米ご飯を炊いた。母は私と一緒に玄米を食べたが、父は戦時中みたいで嫌だというので白米も炊いていた。私は玄米に最初は抵抗があったが、食べ始めるとうまい。外食で白米を食べると物足らないくらい玄米ファンになった。
翌年の春に大学に復学してアパートに住む時、母は圧力鍋を持って行けという。私はそれを使って毎日朝から玄米を食べた。圧力鍋の問題は蒸らす時間が長かったことだが、時間はいくらでもあった。夏休みや春休みなどは圧力鍋を実家に持ち帰り、母と食べた。玄米を炊くからにはおかずも作るようになり、料理はだんだん趣味になった。次第に圧力鍋でシチューなどを作ったりするようになった。
さすがにフランスには圧力鍋は持って行かなかったが、留学から帰り早稲田の大学院に行った時も持って行った。働き始めてからも時間があると時々玄米を作っていた。母とはその後もよく玄米の話で盛り上がった。
実はその肝炎以来、ほとんど病気にかかっていない。50代半ばまでは風邪もひかなかった。それはひょっとして若い頃の10年ほどに渡る玄米ご飯が理由ではないかと、ふと思った。あるいは母が88歳まで長生きしたのも、影響があるかもしれないと。
その圧力鍋はなぜか鮮やかな黄緑色だった。その中でできた黄金色の玄米ご飯の味わいは今も忘れない。圧力鍋はある時調子が悪くなって捨ててしまったが、母の記念に取っておけばよかった。
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