『デューン』の造形美
『DUNE/デューン 砂の惑星』は、かつてデヴィッド・リンチの映画を日本公開前に1984年の12月にロンドンで見た。全くわからずに寝てしまったのは、字幕がないせいもあったが物語もわかりにくかった。今回のドゥニ・ヴィルヌーヴのバージョンは、それに比べたらずいぶんわかりやすい。
それでも固有名詞が多すぎて、見ていて疲れてしまった。そのうえに、物語自体はシンプル過ぎるというか、何だか王朝もののように平板で、王子は美しく勝ち続け、悪人は醜く負ける話で、ドラマに欠けている気もした。
舞台は紀元10191年。アトレイデス一族は、「砂の惑星」と呼ばれるアラキスをハルコネン家に代わって支配するよう、宇宙帝国の皇帝から命じられる。緑の惑星カラダンからの「配置換え」だが、この重要な命令をする皇帝は出てこない。実はこの命令は皇帝とハルコネン家が仕組んだ罠だったというが、その実体は見えない。
太って見るからに邪悪なハルコネン家の一族は、帝国の特殊部隊の力を借りて、アトレイデス一族を次々に殺していく。アトレイデスを率いるレト侯爵も殺されて、息子のポール(ティモシー・シャラメ)は侯爵の側室だった母と何とか逃げて、先住民・フレメンの住む場所にたどり着く。物語はこれからだが、これでおしまい。
では何がおもしろいかと言えば、トンボのような航空機とか、すべてを飲み込む生物・サンドウォームとかの造形美である。あるいは砂が暴れ回る場面や先住民族の地下世界を見ているだけでもすごい。戦うシーンの血は電子的に処理されて流れない。そのほか未来らしい表現がどれも快かった。
考えてみたら、ヴィユヌーヴ監督は『メッセージ』(2016)でも半月のような宇宙船とかふわりと消える宇宙人の言葉などの未来的造形が見事だった。今回もその美術の力で最後までどうにかもたせている。
当然ながらマスクをしてこの映画を見たが、先住民フレメンも砂から身を守るために基本的にいつもマスクをしているのがおかしかった。もはや我々は未来を生きているのか。もう1つ考えたのは西洋人にとって、「砂漠」は野蛮であり恐怖であることだ。古代文明が生まれて現在はイスラム教が主に支配する中東や、多くの部族からなるアフリカの砂漠は、西洋にとって克服すべき悪夢だったのではないか。
歴史のなかで砂漠を意識することのなかった日本人には、その恐怖の感覚が今一つピンと来ない。「物語は始まったばかりだ」という台詞もあるあの終わり方は続編もありそうだが、個人的にはさほど惹かれない。
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