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2021年10月10日 (日)

オンラインで見る山形国際ドキュメンタリー映画祭:その(1)

今年はオンラインでの開催となった山形国際ドキュメンタリー映画祭。いつもならば木曜日に授業を終えて山形入りし、金、土、日と見て夕方に帰る。まさに「映画の共和国」のような、自由な時間とおいしい空気を今年は味わうことができなかった。

それでもプレス登録をして、何本か見た。まず一番見たかったのがイ・ヨンヒ監督の『スープとイデオロギー』。一般向けのオンライン上映はしていないので書くのをためらったが、素晴らしい映画なので忘れないうちに記しておきたい。

実は監督にはこの映画の撮影中の2008年12月、学生企画の映画祭「朝鮮半島と私たち」で『かぞくのくに』の上映後にトークをしてもらった。その時に「済州島の映画」として少し話を聞いていた。

1948年の「済州島四・三事件」を扱うというのでずいぶん大きなテーマだなと思ったが、映画は極めて私的なところから始まる。2015年、大阪・鶴橋に住む監督の母は、済州島の話をしている。時々韓国語も混じってよく聞き取れないが、母が18歳の時に医者だった恋人が事件で亡くなったという。

亡くなった父の2009年の映像も出てきて、3人の兄が「帰国事業」で北朝鮮に渡り、長兄が亡くなったことが語られる。これは『かぞくのくに』で見た通り。10個以上の北朝鮮の勲章をつけた写真の父。2016年に監督は恋人の荒井氏を連れてくる。母は喜んでニンニクをたっぷり使ったスープ=参鶏湯を作る。

2017年に韓国から済州島事件の調査チームがやってきた後に、母の認知症がひどくなる。よほどのショックを与えたのだろうか。2018年4月、母と監督は済州島の記念式典に行く。北朝鮮には何度も行ったのに、韓国は初めて。文在寅大統領が出席していたのに驚く。監督は母が歩いたであろう海岸近くの道を車椅子に乗せて行くが、記憶は戻らない。犠牲者の大きな墓に恋人の名前はなかったが、その弟は生きていて母のことを覚えていた。

母の人生がアニメで語られる。1930年に済州島出身の両親から大阪で生まれ、1945年3月の大阪大空襲の後に済州島に渡る。それから3年後に事件が起こって恋人は殺され、弟と妹を連れて大阪に戻った。

母は長い間、済州島の話をしなかった。北朝鮮の息子たちに借金をしてまで送金を続けた。機嫌がいいと北朝鮮を称える歌を歌った。それはひょっとして済州島の虐殺を起こした韓国政府への憎しみから来たのだろうか。介護をしながらの監督の問いは永遠に続く。監督の極私的な母との対話から、日本と朝鮮半島をめぐる20世紀の歴史が忽然と蘇る。

いわゆる在日コリアンには済州島出身者が多いとはよく聞く。私が教える大学の近くには、かつて「済州島」という韓国料理店もあった。みんな、それぞれの物語を持っているのだろう。そんなことを考えた。

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