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2021年10月29日 (金)

外国語の話:その(2)

イタリア語が話せる理由はイタリア人の彼女ができたからと書いたが、もともとイタリア語を勉強しようと思ったのは、その前に会ったフランス人女性のMさんがきっかけだった。大学院の時にフランス国立映画学校(ラ・フェミス)の試験を受けにパリに行って、Mさんと知り合った。

正確に言えば1年前に1年間パリに留学した時に会っていたが、再会した。パリ第3大学で出会った時は彼女はイタリア語と映画史を学んでいて、イタリア映画が好きだった。それが1年後に会うと日本映画にやたらに詳しくなっていた。それでもイタリア映画やイタリア語の話がよく出たので、私は帰国後にイタリア語の授業を取った。

Mさんはそれから半年後に日本にやってきて、高田馬場の私のオンボロアパートに住み始めた。フランス語ができるのは、ひとえに彼女のおかげ。彼女は数カ月で去ったが、やはりフランス人と暮らすと、フランスに住む以上にフランス語が上達した。彼女は機嫌がいいと私にイタリア語の片言を教えてくれた。

就職してそこの研修費用でイタリア語を学ぶようになるのは、彼女と別れてから。そしてうまい具合に語学学校のイタリア人の先生と仲良くなった。フランス語とイタリア語は「女のおかげ」で話せるようになったと言える。

イタリア映画祭をやっていた頃、来日する監督や俳優に「どうしてそんなに話せるのか?」と聞かれた。片言の会話なのにかなりうまく聞こえるらしい。「東京でイタリア人女性と出会った」と言うと、みんなニヤリとして「そうか」と頷いた。そしてこの話をすると、監督たちと一挙に親しくなれた。

ちなみにフランス人のMさんはその後日本人男性と結婚し、娘を2人育ててパリで悠々自適。なぜかベジタリアンになっていた。イタリア人のFさんはエリート会社員の夫と息子と共に、北イタリアの自然豊かな広い一戸建てに住んでいる。どちらも2016年にパリに半年いた時に1度会った。

さてそれ以外の言葉だが、スペイン語を個人レッスンで学んだのは男性だったからか、うまくいかなかった。だいぶたって2005年にドイツ映画祭を始めるのにドイツ語を勉強しようと思った時は、何としても女性の先生にしようと決めた。当時「駅前留学」と称してどこにでも教室があった「NOVA」の銀座教室に行った。ところが女性の先生は大阪からのビデオ授業とわかってやめた。

ネットで調べたら「先生探すドットコム」というサイトがあって、個人レッスンの先生を有料で斡旋してくれることがわかった。当時はネットに顔と年齢と履歴と時給がずらりと並んでいて(今はサイト名も変わり、年齢は10歳単位で履歴ナシ)、3000円(だったと思う)払うと5人分のメールアドレスを教えてくれた。私は女性ばかり5人を選んだ。続きは次回。

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