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2021年10月15日 (金)

久しぶりに『文藝春秋』を読む

かつては芥川賞が発表されると月刊誌『文藝春秋』を買っていたが、最近はめったに買わなくなった。毎週買っていた『週刊文春』はいまでも時々買うが、月刊の方はたぶん5、6年は買っていない。あのB5の判型も文字ばかりの400頁も、そして千円近い値段も時代からずれている気がしていた。

今回買おうと思ったのは「日大田中帝国の土俵際」という記事があったからだが、どこか躊躇していた。そこに財務次官がバラマキ政治を批判する文章をこの雑誌に書いて、高市政調会長などが騒いでいるという記事をネットであちこちで見て、買う気になった。

実際に読んでみると田中理事長問題は私にとっては新しい事実はなかったし、「財務次官、モノ申す このままでは国家財政は破綻する」も従来から言われてきたことだった。あえて言えば、総選挙直前のこの時期に現役の財務次官がよく書いたという珍しさだけだった。

1千兆円以上の長期債務があってそれはGDPの2倍を超すというのは何回聞いても驚くので、こういう文章はあってもいいかもしれないが、ひょっとするとこの矢野次官は、選挙後の財務大臣次第では更迭されやしないか。

それ以上に驚いたのは、『文藝春秋』の古めかしい体裁と内容だった。最初の広告やタイアップの混じったグラビアページが平成を通り越して昭和のようだ。「同級生交歓」というのはたぶん何十年も続くシリーズで、功成り名遂げた2、3人の写真が載り、かつて小学校や中学校や高校で同級生でしたというもの。

例えば外交官で外務次官を務め、みずほ銀行の顧問を務める野上氏と早川書店の早川社長が、小学生の時互いにどうだったかなどを略歴と共に書く。これを読む大半はそこまで偉くなれなかったはずだが、それを好意的に受け止める読者は普通に会社を勤め上げてそれなりの人生が送れた昭和の人々である。

その後はほとんどデザインなしで文字が続く。まずは玉石混交の有名人の1、2ページのエッセーが7、8人続く。作家の井上荒野氏の「長野ぐらし」はおもしろかったし、ロシア文学者の亀山郁夫氏もドキュメンタリー映画監督の大島新氏もよかったが、「日本にもディベート教育を」と書く旧皇族の文章は完全に昭和の内容だ。

その後の「河野家三代の血脈」ほかの政局話もつぎの「危機のリーダーの条件」をめぐる座談会も、事情通の与太話ばかり。田中理事長の記事も含めて、世の中はこうなってますとそれぞれの世界に内通した人々が自慢するような文章で、読む気が失せた。

ネットで調べたら、この雑誌は月刊誌でダントツに強く40万部もあるという。これは日本はなかなか昭和から変わらない。

 

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