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2021年10月16日 (土)

「よみがえる台湾語映画の世界」に参加して:その(2)

シンポジウムで興味深かったのは、1980年代前半に始まった台湾ニューシネマの源に台湾語映画があるという指摘。これはオンライン参加した台湾の張昌彦さんが言っていたが、ホウ・シャオシェンは台湾南部に住んでいて台湾語映画を見ていたという。国民党に近い中国語映画は英雄が出てくる大きな物語が多く、それに比して台湾語映画は普通の人々の日常を描いたという。

その日見たのは『チマキ売り』(1969年)。冒頭のヤバい感じがいい。女は家に来たヤクザな男に迫られるが、男が残した下着から夫は妻を追い出す。夫も引っ越して子供3人と暮らす。手を怪我して普通の仕事ができないため、昼はくじ引きを売り、夜にチマキを売る。長女も同じようにチマキを売っていた。

妻はかつての乳母の見舞いに行き、その娘が彼女の子供を見つけたことから、夫と子供の住む場所を探し出す。夫はヤクザな男の犯罪で警察に呼ばれ、妻が無実だったことを知る。妻が自分の子供3人と再会するシーンには涙が出てしまう。夫が新たに住む家の隣のピエロの格好をしたコミカルな風船売りなど、確かにホウ・シャオシェンの映画のようだ。

監督は辛奇(シン・キ)で、戦前に日大で演劇を学んだという。メロドラマの中に飽きさせないように喜劇を挟み込むのがうまい。この2年前の『モーレツ花嫁 気弱な嫁さん』は、そのコメディ部分が強調される。美青年の男は人気で近所の女性が集まるほどで、その父は追い払う。美青年が好きなのはいかにもの美女で、母親と暮らしている。

青年と父、娘と母が対面するとそれぞれの父と母はかつて愛しあい、結婚できなかった間柄だったことがわかる。大人2人が結婚に反対すると、若い男女は家を出て同棲を始めるが、金がなくうまくいかない。結局大人2人が仲直りして、男女は親同士と同時に結婚式を挙げる。

興味深いのはそれぞれの家で、ともに居間にソファが4つあり、大きなステレオが置いてあって、壁には絵がかかっている。青年はいかにもアイビー・ファッションで、黒縁の眼鏡で自宅ではシャツの首にアスコットタイを巻く。男女はまるで若い頃の橋幸夫とザ・ピーナッツのどちらかといった感じ。娘が自宅の三面鏡の前で嘆くシーンにはほとんど日本の歌謡曲のような歌が流れる(台詞は台湾語)。何度か登場人物が歌を歌うシーンもあって、歌謡映画でもある。

青年の父は中国服を着ているが、ちょび髭でステッキを持ち、どこかチャップリンの風情がある。娘の母は小津安二郎の映画の脇役に出てくるおばさん役の高橋豊子みたい。全体がスラップスティックコメディのようだが、息子が家を出て寂しく公園を歩く父親が、親に結婚を反対されて台北に出てきた貧乏な男女を助けるシーンは涙を誘う。

1960年代の台湾語映画はサービス精神旺盛で、本当に見ていて飽きない。

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