『歴史のダイヤグラム』に唸る:その(1)
原武史著『歴史のダイヤグラム』を読みだしたら没入してしまった。「朝日」の土曜版beに今も連載中のエッセーを新書にまとめたもので、掲載時も読んだはずだが、まとめて読むとさらに興味深い。副題は「鉄道に見る日本近現代史」だが、一言で言えば鉄道をめぐる些細な事実が近代史を蘇らせる。
連載は2019年10月に始まり、この本には今年の5月末までの分が載っている。おおむね掲載順だが、「移動する天皇」「郊外の発見」といった各章のテーマが作られていて、それによって前後する。
何といっても、第一章の「移動する天皇」が抜群におもしろい。この著者は小さい頃からの鉄道オタクらしく本人の体験もかなり混じっているが、それに加えて『大正天皇』や『昭和天皇』、『女帝考』といった天皇制をめぐる本も多数書いている。鉄道と天皇を組み合わせると、こんなに新事実や新しい見方が出てくるよ、といった感じ。
まず最初に載っている「日本橋から東京駅へ」が考えさせる。「東京都中央区にある日本橋が架けられたのは、徳川家康が江戸に幕府を開いたのと同じ慶長八(1603)年とされる。翌年には早くも幕府直轄の主要な五街道の起点として定められ、沿道に日本橋からの距離を示す一里塚が築かれた。/つまり江戸時代には、日本橋を中心とした全国的な交通システムがすでに確立されていたわけだ」
「日本橋」には何だか別格の感じがあるが、それが家康が江戸に幕府を開いた時に確立されたとは私は知らなかった。確かに東海道五十三次など、すべて日本橋が拠点だ。今も呉服屋系のデパート、三越と高島屋があるし、日本銀行もある。「真ん中」の感じが強い。
明治天皇は明治元(1868)年、京都から東海道を上って日本橋の南詰を左折して西の丸御殿に入った。それが大正時代になると東京駅が中心となる。第八代東京府知事の芳川顕正は「新橋や上野に代わる中央停車場の設置を唱えた。中央停車場は日本橋と異なり、旧江戸城西の丸に立つ皇居(明治宮城)と道路を通してつながることで、天皇のための駅として位置づけられる」
「中央停車場は1914(大正三)年に東京駅として開業する。その巨大な赤レンガの駅舎は、本丸御殿に代わって全国の中心がどこにあるか明示していた」「中央に皇室専用の出入口を有する東京駅丸の内駅舎こそ、植民地や「満州国」を含む帝国日本に君臨する天皇の威光を可視化する建築物となったのである」
引用が長くなったが、ここまで読むと唖然とする。東京駅は天皇のための駅だったとは。確かに東京駅から皇居を見ると広場の向こうの正面にある。この中心性は107年たった今も変わらない。たった1日分の文章に唸った。
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コメント
私も歴史のダイヤグラムは毎週楽しみに読んでるよ。今度買って読んでみよう。原さんは政治学者だけど、政治とは中心や正当性を刷り込んでいく活動でもあるんだと改めて考えた。
投稿: 久保 | 2021年11月 3日 (水) 12時28分