映画祭の夢
最近、朝方によく夢を見る。大半はたわいもないことで起きた途端に忘れてしまうが、一つだけよく出てくるテーマがあってそれは映画祭をめぐるもの。海外の国際映画祭にはベネチアを始めとしてあちこちに足を運んだし、自分でも国内で小さな特集上映を「映画祭」として企画したからだろうか。
よくある夢が海外の映画祭で迷うもの。申請したIDカードを取りに行くと、とんでもない島にたどり着いたり、特別なゴージャスな部屋に招かれて美女が出てきたり、もらったカードでは映画祭には入れなかったり。
日刊紙の記者なら問題はないが、私のように新聞社でも事業部門にいたり、今のように毎回どこかに書くあてを探してそこからの派遣の形を取ったりすると、そう簡単にはプレスのカードをくれない。5年前のカンヌではツテをたぐって西日本新聞に書くことにしたが、それを先方に説明するのはえらく面倒なことだった。
ちなみにカンヌだとプレスでも5段階くらいあって、上の3つに入らないと見たいものも見られないことがある。どのランクかは行くまでわからないから、5年前に現地で3番目のカードをもらった時は安堵したものだ。ほかの映画祭はそれほど厳しくないが、それでもいつも面倒くさい。
それから満員で入れない、というもの。これは今はほぼないが、10年くらい前まではベネチアでもたまにあった。たぶんそれよりも、昔、映画館で『ラストエンペラー』に2度入れなかったとか、パリのシネマテークやフィルムセンターで満員で目の前で扉が閉ざされたとか、そんな経験が響いているのだろう。
夢だと、列に何時間も並んでいてそれがいつまでたっても進まなかったり、ようやく着いたらそれがレストランの列だったり、並んでいるうちに大きな男から殴られたり。ろくなことはない。
並んでいる客から怒られた夢もある。それはたぶんフィルムセンターで企画したジャン・ルノワールの映画祭で一切事前予約ができず、会場の1階ロビーに毎日長い列ができて、怒号が聞こえたことがあるからだろう。あの時は「チケットを返せ」と何度も言われて本当に病気になりそうだった。
「映画祭」は、だから悪夢の元である。それなのに今も東京国際映画祭はここがダメとか文章を書き、あろうことか学生にまで映画祭をやらせて指導している。今年も12月に「ジェンダー・ギャップ映画祭」を開催するのだから、まだまだ悪夢は続きそうだ。
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