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2021年11月 5日 (金)

映画祭の合間に見る印象派

東京国際映画祭が銀座地区になって本当に嬉しい。まず自宅から便利なことが一番だが、昼ご飯やコーヒーの場所もいくらでもある。しかし1時間以上空くと、カフェでパソコンを叩くよりも別のことがしたくなる。そこで行ったのが、三菱一号館美術館のイスラエル美術館所蔵「印象派・光の系譜」展。

私は海外の1館に借料をドンと払って日本に持ってくる「〇〇美術館展」を長年批判してきたし、『美術展の不都合な真実』という本にも書いた。けれどその一方で、ある美術館がどんなコレクションを持っているかは興味がある。特にルーヴルや大英博物館のような大美術館でないところはそうだ。

イスラエル美術館には行ったことがないが、30年ほど前に「マグリット展」を新宿・三越美術館(今の大塚家具)でやった時に、大作を1点借りたことがある。1点のためにやって来たクーリエ(作品保全のために飛行機や車に同行する人)から聞いた話だと、ゴッホもピカソもなんでもあるということだった。

確かにその通りで今回の展覧会もセザンヌだけでも質の高い油彩が5点あって、これは上野の国立西洋美術館のコレクションを上回る。アーティゾン美術館を足してもかなわないかも。《川のそばのカントリーハウス》(1890年頃)は、家と木々、それらが写る川、そして空が一体となって動き出すような優品。

それよりも私は、会場入口にコローの作品が4点並んでいたことに驚いた。ジャン=バティスト・カミーユ・コローは通常は印象派の前の「バルビゾン派」に位置づけられるが、その風景画のタッチは明らかに印象派を先取りしている。そのことを知ったのは15年ほど前に国立西洋美術館で開かれた「コロー展」で、目から鱗だった。

「印象派」と題した展覧会の最初にコローを見せるとはすばらしい。コローは中盤にも2点あって、残念ながら大きな作品はなかったが、「先駆者」の存在感を示していた。この展覧会は「水の風景と反映」とか「都市の情景」とかテーマ別になっていて、各章がだいたい年代順になっている。だからコロー、ドービニーの後にポスト印象派のセザンヌが来たりしているが、ゴッホやゴーガンも急に出てくる。

こうやってみると19世紀半ばから1900年頃までのフランス絵画が順不同で光の表現をめざしていたことよくわかる。1月16日まで。土日は要予約。私も一度休日に予約なしで行って、30分待ちで諦めた。

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