還暦になって:その(17)後ろめたい人生
私が教える大学の理事長が逮捕された。専任教員としては、何とも恥ずかしく後ろめたい。日頃どんなにきちんと授業をしても、すばらしい卒業生を出しても、しばらくは世間では大学名を聞くだけであの「ごっつぁん」顔が浮かんでくるに違いない。
自分が給料をもらう組織が世間から非難されるのは初めてではない。朝日新聞社に勤めていた時には、社長ネタも含めて2年に1度くらいは社会からバッシングを受けていた。電車の中でも居酒屋に行っても会社名を言うのは禁物で、みんな「社」を使って「社に戻る」とか「社に忘れてきた」と言っていた。
そうでなくても「文化事業部」は社内で後ろめたかった。記者のように結果を文章にしているわけでもなく、広告局や販売局のように明確にお金を稼いでいるわけでもない。「文化」「芸術」の名を借りて儲けたり損したりするイベントを拵えるのは、社内でも立場が低かった。ほかのどの部署より仕事量が多い自信はあったが、給料は低めだった。
だから大学に移った時は気分がよかった。教える、文章を書くという中身に誰からも手を触れられることがなく、自由に活動が許される場所だと思った。まじめに教えれば学生は慕ってくれるし、同僚も職員も親切で、最高の気分だった。ところが10年もたつとその喜びは薄れてきた。かなりの額の学費を払う学生に対して威張る自分が後ろめたくなった。ご両親のことを考えたら、何となく申し訳ない。
この種の後ろめたさは、教えたり文章を書いたりするインテリ職業に特有のものかもしれない。たいして知らないくせに偉そうに人前で話し、文章をでっち上げる。これは本当に危うく、後ろめたい。
この危うさは新聞社にいた時もあった。文化事業部にいた時よりも終わりの1年半だけの文化部記者の時の方が強かった。記者は専門知識がなくても、専門家に話を聞いて繋げたら記事になる。映画はともかく、美術や文学やグルメの記事まで書いていたから、猛烈に後ろめたかった。
考えてみたら、最初の国際交流基金もちょっと似た感じはあった。海外に日本の芸術家や学者を派遣して、なんとか取り繕ってそれらしく仕立てるが、それぞれの派遣される専門家の中には複雑な事情があった。それをほぼ知らない顔をして、文化外交をやるのだから厚顔でないとできないと思った。そのうえ、「基金」自体が税金による出資金だし、外務省枠の政府補助金もあった。
最初は税金で食い、次は社内のほかの部署の稼ぎで給料をもらい、今は学費で食っている。「文化」「芸術」を表看板にしていることだけが一貫しているのも胡散臭い。私の「後ろめたい人生」は、理事長逮捕とは別次元にある本質的なものかもしれない。
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コメント
それを言っちゃあおしまいだよ。寅さん風に言えば。ヨーロッパの映画だって公的資金なしにはなりたたないんだから。胸を張んなきゃいけねえんだよ。ドンキホーテだとしても。
投稿: 古賀 | 2021年12月 1日 (水) 20時01分