外国語の話:その(3)
さて2005年6月に「日本におけるドイツ年」の企画として有楽町朝日ホールでドイツ映画祭を始めることが決まり、私は前年の10月からドイツ語を個人レッスンで学び始めた。「先生探すドットコム」で紹介してもらった5人から私は22歳のドイツ人女子留学生Dさんにメールを出し、習うことになった。
料金は1時間2500円で、毎週土曜日に2時間学ぶことにした。紹介してくれたサイトは、メアドを教えるだけで、あとは一切関わらない。お金の支払いもそのほかのトラブルも各自が解決するというシステム。彼女は法政大学で日本文学を勉強していた。当時私はちょうど倍の歳で、相手は警戒していたに違いない。
毎週土曜日午後に法政大学に近い市ヶ谷のスターバックスで教わることにしたが、彼女は大学から現れて、終わると大学に戻った。後をつけられたりしたら大変と思ったのかもしれない。私もできるだけ紳士的に対応しようと気を使った。
おおむね私が先に着いて珈琲を飲んでいた。彼女が現れると、その分の珈琲代も払って席に着いた。向かい合うと照れるし文字を書くのにも都合がいいので、窓に向かって並んで座った。最初は全く教科書もナシで会話から始めたが、これがうまくいかない。
日本人の語学習得は文字から始まるので、音だけでは全く覚えられなかった。そこでノートに文章を書いてもらったが、彼女の手書きは実に読みにくい。それから私が提案して法政大学内の書店で薄いドイツ語の学習書を買った。ところが彼女はその文章がおもしろくないと、会話にこだわった。
2カ月くらいたって先方の警戒心が解けてきた頃、正月に彼女のお姉さんがやって来た。授業の後に2人を食事に誘うと乗ってきた。お姉さんの方は5歳ほど上だったが、ずっと魅力的だった。その夕食以来、Dさんは安心してプライベートな話もするようになった。
旧東独の出身で小さい頃にベルリンの壁が壊れたと言っていた。日本はアニメが好きで関心を持って日本語を勉強するようになり、日本には大学の交換留学生制度でやってきたとのこと。私が2月にベルリン国際映画祭に行く前には、挨拶や役に立つ会話をしっかり教えてくれた。
映画祭の開催まで8カ月ほど習った。ドイツ映画祭の時には来日した監督や俳優たちに挨拶くらいはできたが、それ以上は無理だった。結局ドイツ語は習得できないままに終わった。Dさんとは恋に落ちるどころか、最後の授業の時に握手したくらいだったからかもしれない。
それにかつてフランス語やイタリア語を習得したのは20代だった。やはり年を取ると、単純な記憶ができないのだろう。今は中国語をテレビとラジオ講座で学んでいるが、全く単語を覚えられない。これが還暦だ。
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