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2021年11月 6日 (土)

東京国際映画祭はどう変わったのか:その(5)

イラン出身の巨匠、バフマン・ゴバディの『四つの壁』は、ジャンル映画でも前衛でもリアリズムでもない。あえていえば寓話メロドラマといったらいいのか。全体がありえない齟齬に満ちていながら、細部が心に突き刺さり、見終わるとじわりと来る。

冒頭、ある男が飛行機に向けて銃を撃っている。テロリストかと思うと、飛行場の邪魔な鳥を撃つ仕事だった。主人公のボランは内陸部に住む妻のためにこの仕事をしながらお金を貯め、海の見えるアパートを手にする。しかしその景観は永遠ではなかった。

車で妻と息子を迎えに行くが、帰りに交通事故に会う。それから事故を起こした少年の母やボランの音楽仲間たち、そこに加わるアザーン(イスラム教の礼拝告知)の男や警官、ボランのアパートの前に急にできた高層ビルの住民や不動産会社の弁護士などが次々に現れる。

いろんな種類の人間が出てきて自分の主張をわめきたてる。ボランもその1人だが、彼の苦しみは深まってゆくばかり。終わりも何とも象徴的で、およそリアルでないのに、迫ってくるものがある。4点。

唯一のアメリカ映画(メキシコとの合作)『もうひとりのトム』はロドリゴ・プラ&ラウラ・サントージョ監督が、テキサスで暮らすラテン系の母子を描くリアリズムもの。ここで既に触れた『カリフォルニエ』は同じくリアリズムでイタリアに住むモロッコ人家族を描いたが、こちらも移民ものだ。

ただ母子の問題は移民というよりは、息子のトムがADHD(注意欠如・多動症)であること。見ているとその原因の一部は母親のエレナにあることが明白だし、無知で自己主張の強い彼女が痛々しくなる。後半、問題のある子供用のキャンプに行ったり、トムの父親に会いにいったりするが、解決は見えない。2.5点。

フィリピンの巨匠ブリランテ・メンドーサ監督『復讐』はその圧倒的なリアリズムで見ている者を呪縛する。父の借金を返すためにバイクを盗むイサックは、ジュポイが経営するバイクショップに盗品を持ち込んでいた。ジュポイは数日後の選挙で青年議長に立候補しており、その叔父のレネは区長だ。

イサックは弟のピーターが捕まるとレネに頼んで釈放してもらうが、自分も警官に追われる身となる。ほかのギャング集団からも狙われている。しかしもはやジュポイやレネは助けてくれず、イサックは復讐を始める。

盗品の横流しを商売にしている家族が公職につき、警察や学校に賄賂を贈って選挙結果も動かしてしまう。巨悪のなかでもがく貧乏な青年たちが何とも痛々しい。手持ちカメラでそのアクションを追う荒っぽい迫力はジャンル映画のようでもある。「復讐」が選挙違反を暴くところまでいけばと思ったが、巨悪は温存されるのが現実か。4.5点。

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