映画祭の合間に読んだ『映画評論家への逆襲』
試写もそうだが、映画祭のプレス&業界向け上映は少し早く行く必要がある。遅く行くと満席だったり、見にくい席だったりするから。今回の東京国際映画祭は、その意味では会場が十分に広く満席にならなかったのは助かった。それでも上映10分前には会場に着いて始まるまでに読んだのが『映画評論家への逆襲』。
この本は「朝日」の読書欄で石飛徳樹記者が紹介していた。この題名で荒井晴彦、森達也、白石和彌、井上淳一という映画監督たちの座談会というからさぞおもしろいだろうと思ったが、さほどでもなかった。
もともと映画評論家を批判するための座談会ではなく、全国のミニシアターで上映された映画の後に4人がオンラインで集まって自由に話すというもの。最初は静岡県の「シネマプラザ サントムーン」で『仁義なき戦い』の上映後に4人がやくざ映画論を語る。
それがポン・ジュノだったり、若松孝二やデニス・ホッパーや高倉健とイーストウッドなどなど。たまにおかしかったり、なるほどと頷く。やはり一番おもしろいのは、最後の第7章で観客ナシで小学館に集まった「評論家への逆襲、さらに映画の闘争は続く」。
荒井「相撲、野球でも解説するのは解説するのは元力士や選手だけど、映画だけはそのへんのバカが観ただけで語っている。それにある時期から新聞も週刊誌でもけなす映画評が載らなくなった。……今は映画評論家は映画会社の宣伝部みたいになって、当たり障りのない作品の紹介と褒めだめになっちゃってる」
「そのヘんのバカ」は私もたまに思うことがあるが、作り手しかわからない、と思うのはどうだろうか。古今東西の作品を大量に見た者は、作り手にはない視点があるはず。それよりも問題は「けなす映画評が載らなくなった」ことだろう。かつては小津安二郎の新作を「朝日」のQ=津村秀夫を始めとして、新聞では批判的に書くことがあった。
今はインタビューばかりして監督と親しくなるからか、批判は書かない。新聞や雑誌の編集サイドも批判は望まない。読者も読みたくないからというが、本当だろうか。よくない時はきちんと批判する文章を書くことが「批評」だろう。
ただ座談会はその問題は深くは論じず、『スパイの妻』や『花束みたいな恋をした』などの評価された映画のダメな点を具体的に指摘する。それから問題はSNSにあると言う。
荒井「これ『映画評論家への逆襲』というタイトルだけど、本当の敵はSNSで感想を垂れ流しているモノ言う「観客」だ。映画評論家気取りで言いたい放題の「SNS映画評論家への逆襲」だよ」
こうなると私も同意する。だけどこちらはどうしようもない。今はそういう時代としか言いようがない。
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