還暦になって:その(14)ネタバレについて
このブログで映画について書くと、学生からよく言われるのは「ネタばれじゃないですか」。その時の私の答えは決まっていて、「映画はネタじゃありません」。どうなるか結末がわかっていてもおもしろいのがいい映画である。これが還暦の私の正直な気持ち。
そうでなければ、同じ映画を何度も見ない。大学に移って、古典的名作を繰り返し見るようになった。重要な映画は毎年授業でやるから。ジャン・ルノワールの『ゲームの規則』(1938)も小津安二郎の『晩春』(1949)もビリー・ワイルダーの『サンセット大通り』(1950)も10回以上見ているが、そのたびに感動するし新たな発見がある。
最近、私の学生に東京国際映画祭か東京フィルメックスのどちらかで新作を1本見て評論を書くことを課題にした。そこで必ず出てくる批判が「伏線が回収されない」「展開が見える」「現実にはありえない」である。これも実は「ネタばれ」に近い。つまり筋の展開だけを見ていて、映像の魅力に入れないとそうなってしまう。
それはたぶん基本として映画館で映画を見る習慣がないからではないか。『ゲームの規則』も『晩春』も金持ちのどうでもいい話でしかないし、現実にはありえない。細部の描写の伏線なんて回収されないものだらけだ。それでも唐突なショットやカメラの動きや人物の一言やちょっとした仕草に涙が出てしまう。
今は映画を配信でスマホで一番見ている学生が多い。そうすると映像そのものの躍動感や驚きは伝わってこないで、記号としての筋や細部の仕込みだけしか見えてこない。映画館に行ってもそういう見方をするのでは。
私は大学で映画をフルで見せる時は、大きなスクリーンで可能な限り最新の復元版のブルーレイを上映する。少しでも映像と音の力を感じて欲しいからだが、配信で見られる作品だと休む学生が多い。スクリーンで見ると違うと言っても通用しない。
こんなことを言うと、「古くさい」還暦だと言われるに違いない。レンタルビデオ店が世の中に溢れたのは1980年代の後半で、私は大学を卒業していた。84年から1年間パリに行ったのは、日本では見られない映画を見るためだった。そこでは1年間で500本以上見た。だから映画は映画館で見るという習慣が体に染みついている。
というわけで、還暦の私はネタバレを続ける。
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