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2021年11月22日 (月)

『歴史のダイヤグラム』に唸る:その(2)

昔、実家の前を走る鹿児島本線に当時の皇太子・妃殿下の乗る列車が通ったのを見に行った記憶がある。1960年代後半だろうか。母親と線路に並んで見たが、母が「美智子さんが手を振りよらした」と言ったのを覚えている。ひょっとすると別の時に天皇・皇后も見たかもしれない。いずれにせよ、専用列車だったと思う。

そんなことを急に思い出したのは、原武史著『歴史のダイヤグラム 鉄道に見る日本近現代史』を読んだから。そこには大正と昭和の即位の礼と大嘗祭を京都で行うために、「天皇と三種の神器を乗せたお召列車が、東海道本線の東京ー京都間を往復した」

「1928(昭和3)年11月に行われた昭和大礼は、大正を上回る空前絶後の規模となった。御召列車が東京ー京都間を往復するだけで、沿線には多くの人々が詰め掛け、秒単位の精密なダイヤに従って走る列車に向かって最敬礼した」「御召列車とすれ違う列車の便所は使用禁止になったばかりか、名古屋や京都など、御召列車の停車駅では構内の便所などが幕でおおわれた」

「当時の天皇や皇太子の地方訪問では、沿線や沿道で人々が事前に所定の位置に整列して「奉迎」することが、半ば義務付けられていた。戦後になるとそうした義務はなくなるものの、46(昭和21)年から始まった昭和天皇の戦後巡幸では、再び沿線や沿道に人々が自発的に集まり、熱狂的に天皇を迎える光景が各地で見られた」

少なくとも昭和の時代まではこうした「御召列車」と各地での庶民のお迎えがあったのではないか。平成になると、例えば東北大震災の慰問などでこうした特別列車を使ったという話は聞かない。今の上皇はそういう物々しさを嫌がって普通の列車に乗ったと書いてあった。

この本では作家の坂口安吾が戦後の人間宣言の戦後巡幸を「地にぬかずき、人間以上の尊厳へ礼拝するということが、すでに不自然、狂信であり、悲しむべき未開蒙昧の仕業であります」と批判したことが紹介されている。

そして「それはどうやら、天皇制イデオロギーなとというものとは関係がないらしい。このことが、2019年11月10日に新天皇と新皇后が自動車で都心をパレードした「祝賀御礼の儀」でも証明されたのではないか」

つまりは芸能人と同じで、有名な人を直接見てみたいというだけ。実は私は今の天皇が即位する2カ月前にある会合で同席する機会があった。私人として参加なのでできるだけ平静にふるまうべき場面だったが、心の中では相当に興奮していたし、一緒に撮った写真はその後しばらく見入っていた。やはり私にもミーハー心はあった。

この本の皇室関係で気になったのは「原宿宮廷ホーム」。これは大正天皇が病気で皇太子が摂政となって東京駅を使い始めたため、「大正天皇には、人々の目を避けて御用邸で静養するための「裏口」が用意される。明治神宮の造営工事で使われた引き込み線を利用して、山手線の原宿駅に新設された宮廷ホーム(原宿駅側部乗降場)である」

ネットで調べたら、最後に使われたのが2001年で、2016年には原宿駅110年でマスコミに公開されたが、普段は門が閉ざされているらしい。今度原宿に行ったら少しでも見てみたい。大正天皇のために「裏口」として作られたというのだから。

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