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2021年11月14日 (日)

『スウィート・シング』の快さ

劇場でアメリカ映画『スウィート・シング』を見て、久しぶりに映画特有の快い気分になった。東京国際映画祭でハードな世界の現実ばかり見ていたこともあるが。監督はアレクサンダー・ロックウェルという懐かしい名前で、昔『イン・ザ・スープ』(1992)などで有名だった。

彼はジム・ジャームッシュなどと並んでニューヨーク・インディーズとして有名だったが、完全に消え去っていた。ところが今回の『スウィート・シング』はあいかわらずのオフ・ビートな白黒のロード・ムービーで、さらにノスタルジックな要素も加わっていた。

15歳の娘ビリーと11歳の少年ニコはアル中の父親と暮らしている。クリスマスのサンタのバイトをしている父親だが、酔っ払って話にならない。別居中の母親を交えたクリスマスの食事をするはずがさんざんに終わったうえ、父はアル中で入院してしまう。

姉弟は母と暮らし始まるが、母はわがままな夫に精一杯で子供たちを迷惑がる。そこに紛れ込んだもう1人の少年、マリクと共に母の夫に一撃を食らわせて、3人は旅に出る。車を盗んで運転し、空き家の豪邸で楽しい日々を過ごす3人。

16㎜の白黒で撮られた映像は3人の揺れ動く心情をきらめくように写し出す。時おり差し込まれる過去のカラー映像もいい感じ。最初は暗い話かと思ったけれど、ビリーやニコやマレクの楽しそうな表情や仕草に3人の旅が輝いて見える。それでも最後は悲しい結末になりかけたが、予期せぬハッピーな終わり方でよかった。

映画を終わってクレジットを見たらビリーを演じたのはラナ・ロックウェル、ニコ役はニコ・ロックウェルと出た。作品のHPを見たら、監督の実の娘や息子というから驚きだ。さらに、困った母親を演じたのは監督の妻カリン・パーソンズという。あの息が伝わるような愛おしい感じは、身近な人々が演じることで出ていたのだ。

父親は白人で母親は黒人という家庭の微妙さも魅力の一つではないか。ある意味で究極の個人映画なのに、少年少女を描く普遍的な青春映画になっている。手持ちカメラの揺れも含めて、映画とは何かが詰まっている。年末に届いた可愛らしい宝物だ。

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