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2021年12月 8日 (水)

カンピオンの現在

ジェーン・カンピオン監督は、私が20代後半の頃の忽然と現れた「神様」の1人だった。ホウ・シャオシェンやアッバス・キアロスタミと共に。『エンジェル・アット・マイ・テーブル』(1990)の鮮烈な感動は今でも覚えている。そしてカンヌで女性監督として初めてパルムドールを獲った『ピアノ・レッスン』は、もはや巨匠の域に達していた。

 

ところが期待してみた『ある貴婦人の肖像』(96)に私はがっかりした。なぜかは覚えていない。その後は仕事が忙しすぎたこともあり、数年に1本作る彼女の新作は見ていなかった。今回はネットフィリックスの提供だが、友人が「映画館で見ないと良さはわからない」と言っていたので、新作『パワー・オブ・ザ・ドッグ』を見に劇場に行った。

確かに妙な物語だ。筋だけ見たら、本当に不愉快でつまらない映画になってしまう。ベネディクト・カンバーバッジ演じるフィルは気弱な弟のジョージに常に優位に立つ。弟が子連れの女ローズ(キルスティン・ダンスト)と結婚するとお金目当てと非難し、ひ弱な息子ピーターを馬鹿にする。あるいはローズが働くレストランに男ばかりで集まって、家族客を追い出す。

そんな粗暴で残虐なフィルは実はイェール大卒のインテリで自分でも気がつかない同性愛的志向と繊細な感性を持つことがわかってくる。そしてピーターに乗馬を教え始めて2人の間には友情が生まれる。一方、ピーターは何を考えているのかわからない残虐な面を持ち、ローズはアル中に溺れてゆく。そんな中でフィルは傷口の悪化で死んでしまう。

誰にも感情移入できず、最初は良心的に見えたジョージやローズが中心かと思うと、彼らの影は次第に薄くなる。息子ピーターも次第に異常性を表す。ようやくフィルがいい感じかと思ったら、いなくなる。ストーリーだけなら何なのだと思う。

しかし、西部劇のようなしつらえの大自然の中で、風や水や動物たちと触れ合いながらも辛い人生を生きてゆく人々の姿が実に繊細な映像で捉えられている。とりわけ、実は教養があるが昔ながらのカウボーイに憧れるような複雑なフィルの佇まいがいい。そのうえ、ホモセクシュアルな傾向まであるのだから。

もう映画館での上映は都内では2館しか残っていないが、間違いなくスクリーンで見るべき1本。

 

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