映画祭をやりながら映画を見る:その(2)
今回の学生企画の映画祭のテーマは「ジェンダー・ギャップ」だが、何本か見ていると、苦しみながら生きてゆく女性を描いたものが多いことに改めて気づく。一番古い1935年の中国映画『新女性』は、シングルマザーの女性が度重なるセクハラに苦労し、愛人になるのを拒否して貧乏のままに憤死する話。
伝説の女優、玩玲玉(ロアン・リンユィ)演じる韋明(ウェイ・ミン)は、上海で音楽教師をしながら小説を書いていた。ようやく出版されようという時に、音楽学校の理事の王(ワン)博士から関係を迫られる。実は彼は再会した旧友の夫だった。王博士がホテルに連れ込もうとするのを彼女が断ると、彼は裏で手を回して音楽学校から解雇する。
出版社の社長は韋明の写真を見て女性作家として売り出すことにし、小説は出たが印税はずっと後。韋明に姉が子供を連れて会いに来るが、それは韋明の娘だった。姉はホテルにいたが、金がなくなって韋明の下宿へ。娘は肺炎になるが、入院させる金がない。韋明のピアノも借金のかたに取られ、万策尽きた韋明は一夜限りの買春を考えるが、出てきた相手が王博士で逃げ出す。
王博士は韋明の下宿まで追いかけるが、下宿のおばさんが撃退する。娘が亡くなり韋明は自殺を図るが、周囲の介抱で一命を取りとめる。王博士は小説を書いた韋明に私生児がいて自殺をしたことを暴く記事を書かせる。それを見た韋明は「復讐してやる」「もっと行きたい」と叫びながら死んでゆく。音楽学校では彼女が作詞・作曲した「新女性」を生徒たちが歌っていた。
監督は蔡楚生(ツァイ・チューション)で、前年に21歳で自殺した女性作家、艾霞(アイ・ハ) の実話を映画化した。そして主演の玩玲玉はこの映画の公開後、25歳で自殺する。この映画のとてつもない迫力は、この実際の2人の死からも来ているものだろう。これに山内菜々子さんの弁士と宮澤やすみさんの三味線がついて、完全に心を奪われてしまった。
それから84年後に作られた『この星は、私の星じゃない』は、ウーマンリブ運動の先駆者、田中美津さんを追うドキュメンタリー。彼女は1970年に「便所からの解放」というビラを書く。女は「男の意識を通じて、母(子どもを産ませる対象)と便所(性処理に都合のいい対象)とに引き裂かれてきた」と書いて大きな運動を起こす。
71年には全国から300人を集めて長野で「リブ合宿」をやり、翌年に「リブ新宿センター」を作る。ところが75年にはメキシコに旅立ち、4年余り過ごしてメキシコ人との間の子供を連れて帰国、鍼灸師になって現代に至る。
映画は大半が現代の姿を映すが、もっと70年代前半のことが知りたかったと思った。彼女が当時歌う映像などは本当にカッコよかったので。しかし、トークに出てきた田中美津さんは圧巻だった。「いいことも悪いことも、たまたまなんですよ」「大事なことは体。嫌な奴にノーと言うには体が必要。体を冷やさず、小食で、早く寝ること」「がんばる女を見せてきたが、年を取ると見られる自分と自分自身が近づく」
トークが終わっても、30分以上ロビーで質問やサインに応じていた。
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