『太平洋戦争への道 1931-1941』についてもう一度
今朝の「朝日」1面トップに、昭和天皇の第二次大戦中の侍従長だった百武三郎の日記について書かれていた。それによれば1941年の真珠湾攻撃までに、天皇の心は揺れに揺れたようだ。そこで半藤一利、加藤陽子、保坂正康(編著)の3氏による座談会『太平洋戦争への道 1931-1941』についてもう一度書きたい。
この本を読むと、日本は満州事変から真珠湾攻撃によるアメリカへの宣戦布告の間に、何度か引き戻せる機会があったことがよくわかる。
加藤「(1936年の)2・26事件の結果、昭和天皇の周りを固める人間は、近衛文麿や木戸幸一などの若い世代になります。その前は高橋是清であるとか、井上準之助であるとか、そういう方がいた。それが血盟団事件で殺され、2・26事件で殺され、実体経済の観点から国際協調の重要性を指摘できる人がいなくなってしまった」
1937年の盧溝橋事件以降、日中は全面的な戦争に突入する。そこでなぜ中国に軍を送り続けたという疑問が起きる。開戦から5カ月で南京が陥落するが、蒋介石は首都を漢口に移す。さらに重慶に移してアメリカ、ソ連、イギリスの支援を受ける。
保坂「近代史の中で、中国と戦争する国は基本的になかったわけです」「帝国主義の戦争として中国の内部に入っていくことのメリットは何もなかったからです。広大な土地に兵士を大量に入れて、それで中国の資源を略奪するといっても、相当の資本がかかります。帝国主義的な計算でいくと、中国へ軍を送るというのは得策ではない」
加藤「日中戦争のあらゆる研究において「泥沼」という単語がキーワードになります。これは侵略を受けた中国人の人からすれば的確かわかりませんが、日本人の気持ちとしては、あれよあれよという間に八十万人ぐらいの大軍がく中国大陸に展開するというまさに泥沼の状態になってしまいました」
加藤氏はアメリカが2003年にイラクに対して戦争を始めた時、日中戦争を考えたという。「アメリカは世界の警察官として、テロを行う犯罪国家を攻撃し、共謀罪を犯している人々を襲いに行く」「日中戦争というのはもしかすると21世紀的な戦争を先取りしていたのかもしれません」
そのために1938年に国家総動員法ができる。半藤「弁当は日の丸弁当、梅干しを一つにしろとか、頭は床屋へ行って丸坊主にしてこいとか、そういうかたちで、国民の思想・精神のレベルで戦時体制に持って行こうとする運動が始まるわけです」「要するに日本画本当の戦時体制に入ったのは、1938年の国家総動員法の制定からだと思いますね」
1939年にドイツがポーランドに攻め込み、第二次世界大戦が始まる。なぜ日本はドイツと手を組んだのか。今日はここまで。
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