『春原さんのうた』の静寂と余白
杉田協士監督の『春原さんのうた』を劇場で見た。これは新聞の映画評やフェイスブックの感想などで、好きそうだと思ったから。その予感は当たった。まぎれもない傑作である。沙知という名の若い女性の日常を追っただけだが、その静寂と余白に胸が締め付けられる。
実は題名の「春原さん」は最後まで映画に出てこない。最初は主人公・沙知のことかと思うが、違う苗字で呼ばれている。一度だけ、転居先不明の朱印が押された春原さん宛ての葉書が出てきて、友人の女性が主人公の前で焼くシーンがちらりと出てくる。
そして映画が終わると東直子の歌集『春原さんのリコーダー』の「転居先不明の判を見つめつつ春原さんの吹くリコーダー」から着想を得たクレジットが入る。あれ、映画の中でリコーダーを吹いていたのは沙知や彼女を訪ねる友人たちではないか。
映画は沙知がカフェの2階からもう一人の女性と桜を見ているシーンから始まる。そして沙知は宮崎の故郷に帰る知り合いの男の住んだ部屋に移り住む。最初は沙知の男、つまり春原さんかと思うが、別の名前だし他人行儀だ。
沙知は最初に出てきたカフェで働いている。そこに来た大学生は沙知がスパゲッティ・ナポリタンを食べる姿を、大学の課題だと言って撮影する。店には、道を迷った女性や喪服の男女などが現れる。どうもそのカフェは聖蹟桜ヶ丘にあるようだ。
自宅には叔父や叔母や友人が来る。最初叔父が来た時、この人こそ春原さんかと思った。いきなり訪ねてくるし、何か言いたそうだし。2度目に来た時には叔母が来ていて、叔母は押し入れに隠れて突然リコーダーを鳴らし出す。慌てる叔父を沙知はニコニコと見る。別の日、叔父はバイクで河口湖に連れてゆき、雨に降られる。
家には友達も訪ねてくる。叔父と叔母はそれぞれにどら焼きを持ってくるが、大きなケーキを3つ持ってきた友人もいた。宮崎に帰った男の恋人らしい女性も訪ねて来て、歌を歌う。そしてたまにある女性の映像が挿み込まれる。ああ、この女が春原さんかと思った頃に、映画はプツンと終わる。あの夏のカフェや部屋の繊細な光と影、そよ風とそれに揺れるカーテン、人に会うたびにいい笑顔を見せて人生を楽しんでいるような静かな沙知のある種の空白と謎。
これは今年前半の最大の話題作ではないか。撮影が『偶然と想像』の飯岡幸子、照明が『花束みたいな恋をした』『きみの鳥はうたえる』の秋山恵二郎というクレジットを見て納得した。これは海外でも行けるぞ、と思ったが、HPを見てもういくつもの映画祭に出ていることを知った。
ところで、沙知が友人を駅に迎えに行くシーンで、そのアパートが小竹向原にあることがわかった。私はその駅を週に3回は使っているので、付近の風景はお馴染みで嬉しかった。
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