ネオレアリズモ再考:その(4)
戦後のネオレアリズモ以降のイタリア映画を見て一番奇妙なのは、アメリカの俳優が多数出ていることではないだろうか。例えば初期フェリーニの代表作『道』(1954)の主役は、監督の妻ジュリエッタ・マシーナとアンソニー・クインである。もちろんアンソニー・クインは吹き替えだが、ネオレアリズモの伝統を継いだロケ撮影のこの映画になぜアメリカ人が出ているのだろうか。
ジュゼッペ・デ・サンティス監督の『にがい米』(1949)には、シルヴァーナ・マンガノ、ヴィットリア・ガスマン、ラフ・ヴァローネというその後のイタリア映画を支える3人と共にアメリカ人のドリス・ダウリングが出ている。
一番極端な例はヴィットリオ・デ・シーカの『終着駅』(1953)で、主役がジェニファー・ジョーンズとモンゴメリー・クリフトと2人のアメリカ人である。もちろんこれはイタリア=アメリカの合作でハリウッドの大プロデューサー、デヴィッド・O・ゼルズニックが製作しているから当然ではあるが。
ちなみにこの映画はデ・シーカが『自転車泥棒』に始まるネオリアリズモ路線から大作志向へと大きく舵を切った1本と言われる。その後はソフィア・ローレンを起用した『ふたりの女』(1960)や『昨日、今日、明日』(1963)を経て『ひまわり』(1970)に至る。
そういえば、『揺れる大地』(1948)などでネオレアリズモの中心にいたヴィスコンティが「豪華絢爛」路線に移った『夏の嵐』(1954)には、主人公のアリダ・ヴァッリが恋するオーストリア軍人役でファーリー・グレンジャーが出ている。その後の『山猫』(1963)も主人公のシチリア貴族を演じるのはバート・ランカスターだ。
『道』も『にがい米』も『夏の嵐』もアメリカとの合作ではなくイタリア単独の製作だが、なぜこんなことが起こったのか。一番考えられるのはアメリカの俳優を出すことで、海外での上映を容易にするということだろう。それにしてもフランスでも日本でもこんな例はあまり聞かない。
もう1つには、ハリウッドが経費の安い海外で撮り始めたことで、イタリアは『クオ・ヴァディス』(マーヴィン・ルロイ監督、1950年)、『ベン・ハー』(ウィリアム・ワイラー、1957年)など歴史大作などが撮影された。当然ながらハリウッドのプロデューサーとイタリアの映画人たちとの交流もあっただろう。
いわゆるランナウェイ・プロダクションで、日本でも『東京暗黒街 竹ノ家』(1955)など何本も撮られたが、当時は日本の監督の映画にハリウッドの俳優を連れてくるという発想はなかったように思う。黒澤明の映画になら似合うかもしれないが。
もう1人、ハリウッド女優を出した監督に、ロベルト・ロッセリーニがいる。これは特殊な例で、『無防備都市』に感激したイングリッド・バーグマンが勝手にイタリアにやって来たからで、ロッセリーニはそれに応えるように『ストロンボリ』(1950)や『イタリア旅行』(1953)などバーグマン主演の映画を作っている。これについては後日書く。
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