『白い牛のバラッド』の静寂
2月18日公開のイラン映画『白い牛のバラッド』をオンライン試写で見た。ベタシュ・サナイハ&マリアム・モガッダムの共同監督作品だが、運命と人間関係の複雑さをあっと驚く展開でクールにで鮮やかに見せてゆく手腕は同じイランのアスガー・ファルハディ監督を思わせる。
まず、冒頭の刑務所の庭にいる大きな白い牛の姿が印象に残る。庭の両端には黒い服を着た囚人たちが並ぶ。「白い牛」は映画の題名でもあるが、この映像はその後も(たぶん2回)出てくる。死刑囚となった主人公のミナの夫だろうか。
ミナは死刑執行の前日に夫に会いに行く。夫の死後、彼女は牛乳工場で働きながら言葉の話せない娘のビタを育てている。映画が大好きなビタとは手話で意志を伝えあう。1年後、裁判所から呼び出されて、真犯人が現れて夫の死刑は間違いだったので賠償金を払うと告げられる。納得のいかないミナは判事に謝罪を求めるが、相手にされない。
そこに夫に金を借りていたという男、レザが現れて、かなりの金額を渡す。ところが借りていたアパートでは、知らない男を家に入れたという理由で追い出される。未亡人や外国人に家を貸してくれる家主は少なく途方に暮れていると、レザは自分が貸していたアパートが空いたからと、貸してくれる。
その男は兵役に行く自分の息子とうまくいかず悩んでいる。彼は実は……という話でここまで読むとある程度は想像できるかもしれないが、とにかく出てくる人々の特殊な状況がすごい。それが絡み合ってサスペンスとなり、盛り上がる。
とにかく何もない荒涼とした風景がすさまじい。ミナが働く工場もその周辺の道路も、ミナが呼び出される裁判所も、新しく住むアパートも、ミナとビタとレザがゆく墓も、まるでアントニオーニの『赤い砂漠』などを思い出させるほど不条理な感覚に満ちており、静寂が支配する。その静けさのなかで、刻一刻と決断の時が迫ってくる。そこに白い大きな牛のイメージが重なってくる。
世界の死刑執行数でイランは中国に次ぐ2位で、2020年には246人が死刑となっている。ちなみに日本は毎年2、3人だが、イランは死刑が格段に多い。多いとこの映画のような間違いもあるだろう。その不条理があり、未亡人が男を家に入れただけで家主から追い出されたり、次には家を借りられないような状況もある。
ミナは澄んだ瞳でひたすら現実を見つめる。彼女を演じたのは監督の1人のマリアム・モガッダムだと知って驚いた。この映画はイランでは上映許可が下りていないというが、その理由はどこにあるのだろうか。死刑制度を問題にしたからか、裁判所の誤審を取り上げたからか、女性が判事を追求するからか。見終わっていろいろなことを考えさせる秀作である。
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