『パリ13区』の東京タワー
4月22日公開のジャック・オーディアール監督『パリ13区』(原題Les Olympiades)の試写を見て、1985年春のパリが蘇った。映画については近くなったら書くが、今日は映画の舞台となったLes Olympiades=オリンピック地区にまつわるノスタルジアについて書きたい。
実はこの試写を見に行ったのは、『パリ13区』という邦題にあった。2016年の3月から9月まで住んだ時に借りたアパートはパリ南部の13区にあって、特にどこに通う必要もなかったので、よく付近を散歩していた。外食もほとんどがその近所だった。近くには「ラ・ビュット・オカイユ」(石ころの丘)と呼ばれる戸建ての多い田舎のような人気地区もあった。
ところが映画の原題の「オリンピック地区」は、60年代後半から70年代に開発された高層アパートの立ち並ぶところで、完全にもう1つの13区だった。私はそこに85年春に一度だけ行ったことがあった。
84年夏から1年間留学していた私は翌年の春頃になると、住んでいた14区のパリ大学国際学生都市の各館にいる日本人留学生の多くと知り合いになった。私はアメリカ館にいたが、日本館には当然日本人が多く、その中に主婦の友社の料理編集者を経験したIさんという変わり種の女性がいた。
彼女から「中華料理ならPorte de Choisy=ポルト・ド・ショワジー(ショワジー門)あたりに行くと安いよ。バス1本で数駅」と聞いた私は、大学都市の学食の閉まる日曜日の昼頃にバスに乗って出かけた。ショワジー門で降りたら、確かに中華料理、ベトナム料理などの店がずらりと並び、もやしや白菜を売る食材店もあった。
何だか嬉しくなってうろうろしているうちに、一番賑わっている中華を見つけて入った。そこには店員も客も中国人しかおらず仏語のメニューもなかったが、漢字を見ればわかる。「排骨飯」を見つけてさらにスープや野菜炒めも頼んで上機嫌になった私は、青島ビールまで飲んだ。それでも全部で500円ほどで安かった。
そうしてバスに乗ったところで、財布がないのに気がついた。慌てて店にもどったが、知らないという。私は真っ青になりながら定期でバスに乗って大学都市に帰った。小切手帳や滞在許可証もいれた小物入れごと落としていた。まさに人生最大の危機だと思った。
するとしばらくしてアメリカ館の受付に呼び出された。「あなたの財布などを預かっていると電話があったので、ここに行きなさい」とメモを渡された。そこにはオリンピック地区東京タワーLa Tour de Tokyoと書かれていた。地図で調べるとショワジー門から歩いて行ける。私は初めてその高層アパート街に行き、TOKYOと書かれたタワー棟の1階受付に向かった。
そこの管理人に「ここに住む中国人が道で拾ったと届けてくれました」と言われた。これほど嬉しかったことはめったにない。パリでお金の落とし物が戻ってくるなんて、さすがアジア人と思った。「なんでアパートがトーキョーなんですか」と聞くと「1968年にグルノーブル冬季オリンピックが開かれたのをきっかけに開発されたので、トーキョーとかアテネとかオスロとかメキシコとか戦後のオリンピックが開催された都市名が付いている。サッポロもあるよ」
『パリ13区』の主人公の中国系女性エミリーが住むのは、その「サッポロ・タワー」だった。かつては陸の孤島のような場所だったが、最近は真下に地下鉄駅もできてお洒落な地区になったという。
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