井上荒野『あちらにいる鬼』についてもう一度
chapter1では、2人の出張の後に手紙や本のやり取りがあっただけで何も起きなかった。2で長内はるみは、準備中の小説のために団地を見たいと白木篤郎の家を訪ねる。しばらくして、白木は近くにいると長内の家を訪ねる。雨が降って傘を借りて帰ると、返しにまたやってくる。そうして長内が福岡へ講演に行く話をすると「僕も行きますよ、同じときに」
「わたしはドアを見ている。/夏、それは開き、白木がはいってきたのだった。博多のホテルの一室だった。そのあとドアは何回開いただろう。/今は12月の終りで、わたしは目白台のアパートの一室にいる。京都の家を買ったすぐあとに、東京での仕事場として借りた部屋だ。そのドアが今夜も開く」。白木は40歳で妻の笙子は4歳下、長内は44歳。
2の笙子(白木の妻)の話は娘の海里(つまり作者の井上荒野)が生まれた頃について語る。そして九州で出会った頃を思い出す。「一緒に歩くのがはずかしかったし、篤郎の格好の独特さというのは、ようするに彼自身の独特さだった」。彼女と東京で暮らすことになった時にも篤郎には女がいて、こう説明する。「何かあったとしても、それは単に肉体だけのことで、あなたと僕のつながりのようなものではない、全然違うのだから、と。なんという理屈だろう」
そして現在、確信している。「きっと長内みはると一緒にいるのだろう。ほとんど確信できることは不思議でもなんでもない。とくに行き先をはっきりと告げずに篤郎が家を出てゆくときは恋人に会いに行く時だし、目下の彼の恋人は長内みはるだからだ」
3は1967~1969で、みはるは「毎月文芸誌に書く原稿を、編集者にわたす前に俺に見せろ、直してやるからと言われて、わたしは従っているのだった。男女の関係になって間もなくこの習慣はできたから、もう半年ほども続いている」「このひとときは、わたしにとっては白木とのもう一種類の性交のようなものかもしれなかった」
ところがみはるのアパートから白木は別の女に電話する。3の笙子の部分では、白木が書けない時に笙子にモチーフを話して彼女が書き、白木が推敲して白木の名前で文芸誌に載せていたことが語られる。それは「作家の新境地」として評価を得た。
4の1971~1972になると、白木の女好きはさらに露呈する。ソ連の講演旅行で関係を持ったロシア女がやってきたり、ガラス作家の女を連れてはるみの前に現れたり。みはるも行きずりの若い男と寝る。白木はみはるを長崎の故郷に連れてゆく。みはるは別れを考える。
ここまでが全体の半分で、5で始まる後半はみはるが出家してから。出家の日、白木は現れる。妻に「行ったほうがいい」と言われて。白木は6の1978~1988で全国で文学学校を始めて、各地で教え子の女性に手をつける。いやはや。7の1989~1992では彼をドキュメンタリーに撮る監督の沖一郎が現れる。もちろん『全身小説家』を撮る原一男である。今日はここまで。
| 固定リンク
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 『目まいのする散歩』を読んで(2024.11.01)
- イスタンブール残像:その(5)(2024.10.06)
- イスタンブール残像:その(4)(2024.10.02)
- イスタンブール残像:その(3)(2024.09.26)
- イスタンブール残像:その(2)(2024.09.24)
コメント