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2022年3月 5日 (土)

『英雄の証明』の緊迫感

久しぶりに時間がうまく合って試写に行った。見たのは4月1日公開のイランの巨匠、アスガー・ファルハディ監督『英雄の証明』。彼の映画は見ているうちに入り組んだ人間関係に観客まで巻き込まれた気分になるものが多いが、今回は刑務所が関わってくるからさらに緊迫感が強い。

刑務所を扱ったイラン映画は、現在公開中の秀作『白い牛のバラッド』がそうだ。これは死刑囚で処刑された男の妻が後で冤罪と知って動き出す話だが、そのサスペンスの感じはちょっと似ている。あえて言えば『白い牛のバラッド』が、何度か出てくる刑務所の庭の白い牛のイメージのように、いささか哲学的というか、象徴的な表現を用いているのは、若手監督2人によるものだからだろうか。

『白い牛のバラッド』の刑務所も通りも妻が働く工場もいかにも荒涼とした雰囲気だったのに比べると、『英雄の苦悩』は古都シラーズを舞台にしたせいか、賑やかな商店街や普通の家族の様子が見られる。しかしそこにいる人々の心の中は穏やかではない。映画は、刑務所からラヒムが出てくる場面から始まる。ラヒムは2日間の休暇で姉夫婦の家に泊まる。そこには吃音障害の息子もいた。

彼には婚約者がいるが、彼女は数日前に金貨が入った袋を拾っていた。ラヒムが投獄されているのは、事業資金の保証人になった元妻の兄バーラムが肩代わりした借金が返せないからで、婚約者の拾った金貨をそれに当てようとするが足りない。その後拾った金は返すべきだと思い立ち、張り紙を貼る。刑務所に戻ると落としたと言う女性から電話がかかってきたので、彼は姉に頼んで渡してもらった。

その経緯を知った刑務所幹部は美談としてマスコミに流す。有名人になったラヒムはチャリティー協会のイベントで息子と共にスピーチをして寄付金も集まる。就職先も斡旋してもらったが、SNSでラヒムの美談は作り話だという噂が広がっていた。その元は彼を訴えたバーラムだと確信したラヒムは、彼に抗議に行く。

こんな具合に、この監督の映画は見るとどこまでも細部を語りたくなる(ここまでにする)。拾ったお金を最初は使おうとするラヒムは完全な善人ではない。彼を訴えたバーラムにもだんだん彼なりの論理があることがわかる。刑務所の幹部もチャリティー協会も就職先の人事部長も彼らの論理と損得で動く。どこにも本当の悪人も善人もいないままに、ラヒムの状況は悪化してゆく。

親族が借金で身内を訴えて収監されたり、金を返すと出獄できたり、婚約者は公言できない存在だったり、刑務所の幹部がマスコミを利用したりというのはイラン特有かもしれない。しかしSNSで噂が広がったり、意図的に動画を流したりするのは世界のどこにでもあること。

民族固有の習慣と現代的現象が巧みに絡み合って、人間存在の深い闇を見せてゆく。最後にはどこか救いがあってよかった。ファルハディの人間観察は止まらない。

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コメント

「英雄の証明」がどうしてアカデミー賞で無視されたのでしょうか。わたしには全く分からないんです。

投稿: 石飛徳樹 | 2022年3月 5日 (土) 08時37分

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