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2022年3月 4日 (金)

山田純嗣個展のこと

私はここでも書いたように、昔、展覧会企画に関わっていたので(ランカイ屋)、習い性で美術館や博物館にはよく行く。だが、「画廊」に行くことはまずない。たまに行くのは知り合いが展覧会をやっている時で、友人とか教え子とか。

日本橋の高島屋そばにある不忍画廊に山田純嗣個展を見に行ったのは、本人から案内が来たから。山田さんは友人とは言えないが、2008年頃の短い記者時代に取材した相手で、今でも丁寧に自宅に案内をいただいている。実はもらっても行けないことが多かったが、先日行ってみたらかなり刺激的だった。

山田さんは15年ほど前に初めて見た時から、まず立体物を石膏で作って、それを写真で撮ったうえでエッチングと樹脂で加工するという複雑な工程で作られた作品を発表していた。現実を3次元で作る時に歪みが生じ、それが写真という機械で撮影することでさらにどこかおかしくなる。そしてそれを加工する。

2次元と3次元、彫刻と写真が行き来することで、「見る」ことや「作る」ことの謎が浮かびあがる手法に驚いて記事を書いた。それが数年前に見た個展ではモネの《睡蓮》をもとにしたものに変わっていた。ちょうど森村泰昌氏の作品のように、既存の名画を使いながらそれを立体化して写真に撮り、加工していた。

森村泰昌氏の場合は作家本人が絵画の中の人物になるから過激だしとにかくおかしいが、山田さんはあくまで平面をクールに白い石膏で立体化して再度二次元にする過程で生じる微妙な歪みが見どころ。今回の個展ではアンリ・ルソーの《夢》(ニューヨーク近代美術館蔵)とボッティチェリの《春》(ウフィツィ美術館蔵)の2点を扱っているが、実は大胆な細工がしてあった。

どちらも女性が出てくる絵だが、顔がない。というか足の下の方だけが出てくる。周囲の草木はあるのだが、上半身がないのでまるでマグリットの絵のようにシュールになる。一見したところでは、とても《夢》や《春》には見えない。さらに、最初に作る石膏による『春』のインスタレーションもあった。真っ白で作られた膝から下の足と木々、そして草花が並ぶ三次元を見ると、これは完全に別世界という気がした。

かつての名画をもとにしていなかった作品とはだいぶ違うが、手法はほとんど変わっていない。彼のこれまでの作品をどこかの美術館でまとめて見てみたい。

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