還暦になって:その(37)あと5年
去年から今年にかけて同じ年の友人から「定年退職した」「嘱託になった」「フリーになった」「会社を作った」と連絡が届いた。つまり60歳になると会社が定年になる。いまでは年金が払えないので国の指導で65歳までは雇用を確保するようになった。「朝日」のように社員のまま給料を下げる会社もあれば、「日経」のようにいったん退社させて契約で再雇用する会社もある。
ようするに60歳を超すと、役員でなければ役所も民間も給料をさげて「おまけ」のような形で「働かせてやる」と言わんばかりだ。大学の場合は昔から定年が65歳か70歳で、これは今も変わっていない。
私の場合は「朝日」を辞めた時は定年が60歳で役員以外は優秀な記者などが嘱託で残っていたと思う。大学に移ったら定年は65歳だが、「定年延長」が普通は認められるので70歳と言われた。給料がだいぶ落ちたけれど、これなら生涯賃金は変わらないかなと思った。
ところが数年前に「朝日」の定年は65歳に延長になった。友人の石飛記者によれば60歳を機に給料は半分になったと言うが、それでもいい方だろう。同じ頃、なんと私の大学では定年65歳厳守が決まった。最近有罪になった前理事長がバリバリの頃である。「定年延長」を禁止し、例外的な人材は「特任」などで再雇用となった。
もちろんいきなり65歳ではなく、移行措置があって昨年辞めた人までは大半が70歳まで残ることができたが、5年後は無理である。前理事長がなぜ定年延長を推進したのか知らないが、たぶん「経営」を考えての効率化だろう。そしてその分が自分とお仲間の懐に行くように考えたのか。
いずれにせよ、彼のおかげで文科省の補助金が5年間で計300億円なくなって、これでは再雇用もほぼ無理になるのではないか。学費は上げない、設備の質も下げないと宣言しているから、あとは改築などを遅らせるか教職員の給料や退職金を少しずつ減らすしかない。
今日は4月1日、つまりあとちょうど5年で定年退職である。考えてみたらこの12年間、自転車操業のように授業の準備のために何とか勉強し、頼まれた原稿のために間に合わせのように知識を詰め込んできた。新聞社時代に比べたら物理的な時間はあるが、それにしてもせわしなかった。
さすがに授業はこれまでの蓄積で準備の必要がなくなった。これからは本でも書こうと思う。そのためには仕事を少し減らそう。そう思って今年度から学部の授業を半年分一コマだけ、非常勤講師の方にお願いすることにした。これからは私自身がほかの大学でやっている非常勤も減らし、よくわからない文化庁の委員とか、どうでもいい原稿を受けないようにしないと。試写状が来たからといって、ホイホイ見に行くのもやめよう。
私は根っからの貧乏性で、人から頼まれた仕事をすべて引き受けてきた。2度の転職も「頼まれた」から乗ったまでだ。しかしこれからは自分のやりたいこと、やるべきことに軸足を移していこうと、とりあえず今日のところは考えた。
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