「幕末明治のはこだて」展に考える
東京都写真美術館で5月8日まで開催の「幕末明治のはこだて」展を見た。ここでは前に同時期の長崎をテーマにした展覧会を見たが、このような歴史を振り返る写真展は大好きだ。何となく、自分の寄って立つ地点を考える機会になるから。
何度も行った長崎とは違い、函館は1度しか行っていない。長崎の写真展は時々現在の場所がわかったが、函館は1泊のみだったので何もわからない。朝市に行ったことや、赤レンガ倉庫がいい感じのショッピングモールになっていたことくらいしか覚えていない。
それでも写真展を見ながら、函館が長崎と似ていて一方は北海道の南端、一方は九州の西端にあって、かつどちらも海と山が接近していて似た地形だと思った。交易及び軍事の要地になるのは明らかだ。
おもしろいのは江戸末期、19世紀半ばに函館の全容を見せる地図と写真が競い合うように作られたこと。たぶん双方が影響しあったのだろう。展示品は函館市中央図書館や市立函館博物館のものが多く、函館を拠点にした写真家の作品が数多く展示されている。
沖縄の場合は明治初期の「琉球処分」までは琉球王国が独立して日本とも中国とも交易を行っていた。だから明治政府による暴力的な支配が突然訪れた感じだが、北海道=蝦夷地はそれほどドラマチックではなさそうだ。18世紀から19世紀にかけて和人の移住が増えたとパネルに書いてあった。
松前藩はアイヌの集落以外を支配したようだが、アイヌの写真もかなりあった。明らかに顔つきが違うのでわかる。ちょっと違う雰囲気の集落や家も写真に残されていた。展覧会には松前藩及び明治政府とアイヌとの衝突や軋轢は感じなかったが、実際にはどうだったのだろうか。お雇い外国人が「少年よ大志を抱け」などと呑気に言っているそばで、何かあったような気がする。
気になったのはアレクサンドル・ベルリオーズというフランス人神父の写真があったこと。彼は1880年代に来日し、函館で最初の天守公教会堂を作ったという。写真は大正末期のものでアイヌの調査もしていたとパネルに書かれていたから、相当長く滞在したのだろう。19世紀後半のアイヌの写真は多いし、その存在は外国人にも知られてたのだろう。
それを考えたのは、映画を発明したリュミエール兄弟が日本に送ったカメラマン、コンスタン・ジレルが1898年にアイヌの映像を2本撮影しているから。彼は母宛の手紙にフランス人神父の手助けでアイヌの人々と会ったことを書いていた。たぶんベルリオーズ神父のことだろう。ジレルが神父数名と撮った写真の一人が神父に似ていた。
もちろん展覧会にはジレルへの言及はない。そんなこんなで、蝦夷地とアイヌの歴史についてもっと学びたいと思った。
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