ネオレアリズモ再考:その(7)ロージ
最近古いイタリア映画を見ていて一番驚いたのは、フランチェスコ・ロージの初期作品だった。ロージと言えば私が大学生だった頃に岩波ホールで『エボリ』(1979)が公開され、その後もオペラ映画の『カルメン』(1984)やガルシア=マルケス原作の『予告された殺人の記録』(87)があって、イタリア映画の現役の巨匠だった。
実は1922年生まれでパゾリーニと同じ年だが、ロージは2015年まで長生きした。ところがヴィスコンティやフェリーニやパゾリーニのことはみんな語るが、ロージは今や忘れられた感じである。
ロージと言えばよく「ネオレアリズモの継承者」と言われる。しかし『エボリ』以降の作品を見ても、それはよくわからない。最近『シシリーの黒い霧』(1962)を配信で、『都会を動かす手』(1963)をユーチューブ(字幕なしだが映像は良好)で見て、そういうことかと納得した。
ネオレアリズモは戦争の傷跡や貧しい人々を描く。敵は明らかで、政府だったり役人だったり、資本家だったりする。しかしロージの映画ではマフィアと庶民が、あるいは権力が結びついていたりして、すぐには敵が見えないのが特徴だ。
『シシリーの黒い霧』(原題は「サルヴァトーレ・ジュリアーノ」)は、シチリアの戦後の五年間をドキュメンタリー・タッチで描いたもので、ロージが助監督についたヴィスコンティの『揺れる大地』を彷彿とさせる迫真性を見せる。ジュリアーノをボスとする山賊たち、マフィア、警察、憲兵、住民の奇妙な共犯関係を描いているのがすごい。誰が敵なのか本当にわからない。
その意味では、その後のイタリア内外のマフィア映画の原点ではないか。さらに冒頭のジュリアーノの死から始まって、五年間を遡りながら真相を探る構造がまるで『市民ケーン』のようで、「新しいネオレアリズモ」に相応しい。
次の『都会を動かす手』(1962年)は、ナポリ市の都市開発をめぐる疑惑を描いた政治もので、これも「新しいネオリアリズモ」らしいテーマ。主人公の建設業者出身の市の助役にアメリカのロッド・スタイガーを起用しているが、反対する左派の議員役を実際の共産党の国会議員が演じ、新聞記者たちや抗議するナポリの貧困層も本物という。
高級住宅の新築工事で隣のボロアパートが倒壊して人々が逃げ惑うシーンや乱闘に近い市議会の審議などがほとんドキュメンタリーのように撮影されており、最後まで画面から目が離せない。これはベネチアで金獅子賞を得たが、なぜか日本では未公開だった。ロッド・スタイガー演じる助役はほとんど田中角栄みたいで、実に現代的な映画だが。
そういえば『ペッピーノの百歩』(マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督、2000年)という映画で、マフィアに反対する住民たちの上映会で見る映画は『都会を動かす手』だった。それほどイタリアではリスペクトされているが、日本ではテレビ放映があったのみで、いまだにDVDも配信もない。最近パゾリーニの『テオレマ』と『王女メディア』がデジタル復元版で上映されているが、ぜひロージの映画も上映して欲しい。
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コメント
エボリは公開時にスバル座で見たので、岩波ホール公開ではないでしょう。
投稿: yazaki | 2022年3月14日 (月) 09時34分
そうかもしれません。
>yazakiさん
>
>エボリは公開時にスバル座で見たので、岩波ホール公開ではないでしょう。
投稿: こがふとし | 2022年3月14日 (月) 09時58分