映画館で「トーク」をして
先日、映画館でピエル・パオロ・パゾリーニ監督『テオレマ』(1968)の4Kスキャン版上映後に話した。「トーク」というのはまるで無駄話をするみたいであまり好きな言葉ではないが、「講演」や「解説」はいかにも堅そうなのでみんな嫌がるのかもしれない。私の場合は年に2、3回頼まれる。
実は今回上映された『テオレマ』と『王女メディア』については、既に朝日新聞デジタル「論座」に3月4日に原稿を書いていた。配給会社はそれを読んで依頼したようだが、私も原稿を書いたのだから大丈夫だろうと楽観視していた。
ところが2、3日前になるとやはりメモを作ろうと思った。「論座」には個人的なことを書けないが、トークならばウケも必要なので多少昔の思い出話もしようと思った。そう思っていたら、1999年に作った「パゾリーニ映画祭 その詩と映像」のポスターが見つかったので、それを持って行こうと考えた。
そのポスターには、キャッチコピーのようにアルベルト・モラヴィアと大島渚とジル・ドゥルーズの言葉を引用していた。読んでみるとドゥルーズの「パゾリーニは記号学者よりさらに先に行こうとしているようだ」などとなかなかいい。そこでこの3つの言葉を解説することから始めようと思った。
その前に映画祭そのものについて話す。『テオレマ』でメイドを演じたラウラ・ベッティに罵られたことを枕に持っていけばいいだろう。それからパゾリーニとゴダールの違いについて触れたらわかりやすいかもしれないと考える。1960年代の日本で、この2人はヨーロッパの前衛+難解監督の筆頭だった。
それを何で示そうかと考えたら、キネマ旬報社の『世界の映画作家』シリーズの第1巻(1969年)がこの2人だったことを思いついた。そこで大学の研究室に行って本を探したが、ずいぶん時間がかかった。表紙を見せるだけでも大事だろうとこれも持っていくことに。2人の一番の違いは年齢。そもそもフランスのヌーヴェル・ヴァーグやほかの国の同時多発的な映画革新運動は20代の若者が始めた。
1945年の戦争終結時に10代だった連中が始めた運動で、映画好きが高じて現場で学ばずに勝手に映画を作り始めた。パゾリーニはゴダールより8歳上で、45年に23歳。そして彼は詩や小説でまず有名になって、その延長線上で映画に手を出した。だから同じ唐突な映画でもゴダールのような映画好きが作ったものではなく、魅力的な俳優のショットを重ねた絵画のようだ。
そういえば、俳優たちも簡単に説明する必要があるだろう。20年前の『にがい米』のグラマーぶりで日本では「原爆女優」と呼ばれたシルヴァーナ・マンガーノは実は「マーンガノ」であることは言っておく必要があるだろう。そんなこんなで俳優の説明をしていたら20分が過ぎ、プラス5分で俳優が終わったところで強制終了。
いつも大学で講義をしているくせに時間配分がまずくて恥ずかしかった。本当はその後に音楽の話とかこの映画が猥褻罪で裁判になった経緯とか、それより何より、この映画そのものの魅力はどこにあるのかを話そうと思っていたのだが。
そういえば、今までトークでうまくいった記憶はほとんどない。準備にかかる時間は原稿を書くのと同じだし、それにプラスして緊張とか何を着てゆくかとかストレスが多い。そして謝礼は原稿料に比べてずいぶん安い。「トーク」なんて20分ほどちょろっと話して楽勝と思っていたが、そうではないことに今頃気がついた。
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