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2022年4月28日 (木)

『溶ける街 透ける路』についてもう一度

多和田葉子のエッセー『溶ける街 透ける路』について、前回はわずか1都市、ダルムシュタットについての文章にしか触れなかったが、全部で50都市くらいあるのでもう少し書いておきたい。どの文章も作家独特の見方があっておもしろいが、とりあえず私も行ったことのある街について書く。

1月だとケルンとフランクフルト。ケルンは大聖堂(地元では「ドーム」と呼ぶ)で有名だが、これが駅のすぐそばにニョッキと出てきて何とも異様である。私はパリのノートルダム寺院(一部焼けたが)やルーアンの大聖堂などのゴシック建築は大好きだが、ケルンのものは似ているようでどこか違って怖いと思った。

「もしもドイツの森が稲妻に襲われて恐ろしい勢いで天にむかって身体をうねり上がらせたら、こんな形の建築物ができるのではないか。キリスト教というよりは、森林信仰を思わせる。わたしの眼には、シュールリアリズムの作品のように見えることもある」。ドイツに長年住む多和田さんにもそう映るのか。

フランクフルトについては、彼女は20回ほど行ったというブックフェアについて書いている。大きな国際見本市会場があるのは知っているが、私は行ったことがない。私にとっては河岸に美術館・博物館が並ぶ大都市であり、飛行機や列車でよく乗り換える。フランクフルト空港にポルノ映画館があったのには驚いたのは1990年頃か。同じ頃に駅に近いカイザー・ストラッセというポルノショップの並ぶ通りで、関西の学芸員のOさんとストリップショーを見たこともあった。

7月の「ボルドーⅡ」には牡蠣のことが書かれていて、これも納得した。「生牡蠣を食べていると、海そのものを食べているような気がしてくる。肉にしみ込んだ海水のしょっぱさには、海を漂って生きた軟体動物たちの記憶が無数に溶け込んでいる。味が舌にしみた瞬間、脳裏に浮かぶあの色は、わたし自身が貝だった時代に見えていた色なのか」

日本のフランス料理店で生牡蠣を食べても、そんな「海」はない。フランスでも海に面したサン・マロやナントなどで食べると牡蠣に海水が交じっていて、まさに「海」を感じる。あるいはパリの「ボーファンジェール」などの高級ビストロにも少しはあるか。ボルドーも確かに海に面しているが、私は牡蠣は食べなかった。

11月の「タリン」では、友人の知り合いに偶然会って案内してもらう。「彼女は歴史的な家並みを誇るプラハの出身なので、タリンを歩きながらも、プラハとタリンの建築の違いはどこにあるかくわしく説明してくれる。普段「ヨーロッパの古い家並み」という曖昧な捉え方しかしていないわたしには説明があまりに詳しくて、恥ずかしながらついていけないところもあった」

これまた「あるある」で、私は2016年にヘルシンキに行った時に高速船で1時間のタリンに一泊した。まさに私は「プラハの可愛いバージョン」だと思ったが、たぶん文化的に相当違うのかもしれない。私はタリンはヘルシンキに比べてどのレストランも格段にハイレベルだったことだけをよく覚えているが、情けない話である。

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