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2022年4月29日 (金)

今井正がわからない

今井正という監督は、長い間なぜか見ていなかった。私が大学生の時は一番人気の巨匠は黒澤明で、彼が『影武者』(1980)や『乱』(1985)を作っていた頃、「最近のクロサワはダメになったなあ」というのが映画通だった。

次に来たのが小津安二郎。蓮實重彦さんが本を出したのが1983年で、そのあたりから小津がカッコいいというか、ポストモダンな感じになってきた。映画好きは笠智衆の口調を真似て「小津ごっこ」をしていた。それから少しずつ溝口健二が実はすごいということになり、ロカルノでの回顧上映もあって、成瀬も流行ってきた。

その後、清水宏とか吉村公三郎とか木下恵介とか増村保造とか川島雄三とか加藤泰とか「発見」してどんどん好きになった。生きている監督だと『ツィゴイネルワイゼン』や『陽炎座』の鈴木清順や『戦場のメリークリスマス』の大島渚は輝いていたので、過去の作品も見た。

ところがなぜか今井正は入ってこなかった。かつて銀座にあった並木座などでは上映していたはずなのに。たぶん「社会派」「戦後民主主義」的な感じを古いと思って無意識に避けていたのかもしれない。結局きちんと見たのは大学に移ってからだった。

『また逢う日まで』(1950)を見て私はがっかりした。登場人物が作りものだし、図式的だと思った。平和と芸術を愛し、軍部を嫌う三郎(岡田英二)は挿絵画家の瑩子(久我美子)と防空壕で出会う。何度か会って、三郎の出征の前に東京駅で会おうとするが三郎は姉の病気で行けず、瑩子は空襲で死ぬ。それを知らずに戦場に向かった三郎も死ぬ。

三郎の歯の浮くような言葉が耐えがたい。彼のナレーションまであって過剰である。むしろ彼を嫌いな軍人の兄(河野秋武)の方がまともに見える。兄も裁判官の父も弟をしつけようとするがうまくいかない。最後に瑩子が描いた三郎の絵を持って瑩子の母(杉村春子)が三郎の母に会いに行く場面は、杉村春子の名演もあって感動するけれど。

結局誰も悪くないけれど、多くの人が死んで戦争が終わった、あれはよくなかった、繰り返してはいけない、そんな感じでどこか戦争や日本人を美化している感じもした。この映画はこの年のキネマ旬報ベストテン1位である。今井正はキネマ旬報ベストテン1位をその後も何度も取っている。『にごりえ』(53)、『真昼の暗黒』(56)、『キクとイサム』(57)、『米』(59)だからすごい。

最近『にごりえ』を見た。これは『また逢う日まで』よりはずっといいが、やはり疑問が残った。続きは後日。

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