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2022年4月19日 (火)

今見るべき映画『親愛なる同志たちへ』

アンドレイ・コンチャロフスキー監督の『親愛なる同志たちへ』を映画館で見た。白黒でスタンダードサイズで描かれるのは1962年のソ連の地方都市の3日間だが、これがまさに今見るべき映画だった。

冒頭、40代の女性リューダが泊まった男の家から朝早く出てゆく。彼女は男の妻のことを皮肉りながら、朝の買い出しのためにとにかく急ぐ。食料品店は大勢の客で大混乱だったが、リューダはコネを使って別の入口から必要なものを入手する。

自宅で老いた父親と18歳の娘の世話をして、出かけるのは市役所。彼女は市政委員で課長というから管理職だが、工場でストが起こっており労働者たちは市役所に向かっているという。賃金が下がったのが原因だが、市長を始めとして誰も打開策はなく、近づくデモ隊が石を投げ始めると、彼らは裏口から抜け出す。

モスクワから党幹部がやってきて、軍隊を導入すると言う。軍隊とデモ隊が市役所前でもみ合っていた時に銃声が聞こえ、何人もの市民が殺されたり重傷を負ったり。リューダは娘が自宅に戻っていないことを知って、彼女を探し始める。

この映画でおもしろいのは、主人公のリューダが市の幹部であり、共産党は正しいと信じている、あるいは信じなければならないと自分や周囲に言い聞かせていること。彼女が一般には評判の悪いスターリンを評価して自宅に写真を飾ってフルフチョフを貶すのもおかしいし、そもそも不倫の果てに娘を生み、現在も市の同僚と関係があるのも何とも人間的。

娘はそんな母親に反発して不倫を怒ってデモに出るし、父親は半分ボケて自宅で昔の軍服を着て喜んでいる。そういう喜劇的な状況のなかで、労働者のための国、ソ連において、労働者は賃金を下げられて抗議行動に出るというほとんど不条理な状況が進む。そして市の幹部はモスクワの命令に従うしかなく、市民は殺されてゆく。

この虐殺にはKGBと軍の確執がからんでいることがわかって事態はいよいよワケが分からなくなるが、そんな中でリューダはKGBの男に近づくなどあらゆる抜け道を使って娘を探す。

一人の人間に権力が長年集中すると組織がおかしくなるのをこの映画でまざまざと見るが、もちろん今のロシアも中国も同じ。あるいはそんな国単位でなくても、私は会社員時代にも上司にゴマをすって右往左往する中間管理職はたくさん見た。あるいはどこかの大学も同じ。ウクライナ危機の今、ロシアを知るためにまさに見るべき映画だが、「権力」というもの自体を考えるうえでも示唆深い。

コンチャロフスキー監督は米国亡命中の『暴走機関車』や『マリアの恋人』の頃よりも、ロシアに帰って作っている最近の作品の方がずっとおもしろい。

 

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