『高台にある家』に考える
作家の水村美苗の母である水村節子が書いた『高台にある家』を読んだ。水村美苗が『日本語で書くということ』で何度か触れていたので興味があった。水村節子は母が25歳下の高校生との間に産んだ子供であるという話を聞いて、それだけで読みたいと思った。
『高台のある家』は水村節子が昭和3年、7歳の時に父母と横浜から神戸に引っ越す場面から始まる。そして戦時中に19歳で結婚し、戦後を迎えるまでが書かれている。もちろんポイントは節子がその時々に見た母親の姿である。
というより、母は父よりも二回り以上年上で、自分はその間に生まれた「庶子」であり、自分には父親の違う年の離れた兄弟が何人もいることを少しづつ知ってゆく過程を思春期の娘の目から描いている。そこから見えるのは昭和初年の東京や大阪のモダンで文化的な生活であり、同時に古い日本的な部分である。
題名の「高台のある家」とは鶴見にあった父の姉、つまり叔母の家のことである。そこは高台にあって、叔父は外国航路の輸送船の船長をしていて文化に溢れていた。節子の家は近くにあったが低地で狭く、すべてが違っていた。父が入院し母が介護で泊まった時に、しばらくその家に預けられて夢心地で過ごす。
ところが父が転勤で神戸に引っ越すことになり、それから母の無数にいる貧乏な親戚に会い、父と母の不思議な出会いとその後について徐々に知ることになる。節子が女学校を出ていくつかの偶然が重なって、叔母の家に住むことになる。
そこで願ってもない良縁がやってきて節子は上流社会入りするかと思われるが、どうしても気乗りのしない彼女は断る。そして愛する男性と平凡な結婚をして叔母を呆れさせる。そして敗戦を迎える。ざっとこんな話だが、少女が両親の秘密を少しずつ知ってゆく過程が何ともおもしろい。私はこの本を読んで夢中になり、2度も地下鉄で降り損ねた。
それにしても、40代後半で既に評価の高い小説を2つも発表している娘の水村美苗にとって、78歳の母が突然娘時代の小説を書きだした衝撃は察するに余りある。水村美苗による「あとがき」によれば、文学教室に通っていたらしいが、そこの先生が出版を勧めたあたりから、娘に頼ってくる。娘にパソコンの使い方を習い、一章書くごとに見せる。
「どおしたらいいのよぉ、と原稿を持って私のあとを追っかけてくるという感じである。……母は執拗なだけでなく精力的である。私が適当に赤を入れるとパッと直し、またどうしたらいいのよぉ、と原稿を背中に背負い、杖をついて、ひょこひょこと家までやってくる」。私は3年前に亡くなった自分の母が、もし自分の娘時代を小説に書き出したらと想像する。なんとも恐ろしい。
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