多和田葉子『溶ける街 透ける路』の気持ちよさ
多和田葉子が「朝日」朝刊に連載している小説『白鶴亮翅』が抜群におもしろい。ベルリンに一人で住む日本人女性の話だが、どうでもいいような細部が語られているうちに物語が歪んでゆく。この人のエッセーを読んでみたくなり、買ったのが『溶ける街 透ける路』。
これが拍子抜けするほど、平明な文章だった。彼女の小説のハチャメチャな部分が消えて、ある都市のちょっとしたことがさらりと語られる。けれど読んでいるうちに、何となく気持ちよくなってくる。
全体は1月から12月に分かれて、ひと月に3から5の都市名が書かれている。つまり全部で50ほどの話だが、多くはヨーロッパでたまにシアトルとかアンマンとか。それぞれ同じくらいの短い文章で各都市の印象が書かれている。
あとがきに「2005年の春から2006年末まで実際に行った町の話を書いた。本を作るに当たっては日経新聞に連載時の掲載順に並べることにした」。つまり新聞連載のエッセーで、平明な文章なのはそのためだろう(でも「朝日」連載の小説はかなり込み入っている)。まず驚くのは、ベルリンに住みながら、わずか2年弱でよくこれだけの都市を回ったなあということ。
ほとんどは朗読会などで招待されたからだが、ヨーロッパに住む作家というのは、こんなに人前で話す機会が多いのか。彼女は日本で有名になる前に既にドイツ語で小説を発表しているが、それにしても、こんなにも作家の話を聞きたい人が各地にいるのにびっくりする。
それも大都市ばかりではない。例えばダルムシュタットは「フランクフルトから急行に乗れば十五分で行ける」が、展覧会のために1週間滞在したことのある私は、本当に小さい街であることをよく知っている。アール・ヌーヴォー(ドイツ語だと「ユーゲント・シュテール」)の可愛い建物が集まったマチルデンホーエ地区で有名だ。
そこで年に1度の「博物館の長い夜」というイベントで「わたしとピアニストのAさんは、ドイツ文学基金の建物で、夜の九時、十時半、十二時の三回、三十分ずつ音楽と朗読のパフォーマンスを披露した」。夜の12時でもちゃんと人が集まったという。
この文章は「ダルムは腸という意味だから、ダルムシュタットと言ったら、「腸の町」ということになってしまう。語源的には多分関係ないだろうが、わたしはそういうことを考えてしまう」という文章から始まる。このちょっとした妄想がこの小説家らしい。
「この地区では、どれもこれもアールヌーボー。もちろん形は一つ一つ違っていて、それぞれが夢みる曲線を遊んでいるが、とめどなく柔らかい感じではなく、どこかドグマ的な体系につながっていそうな不気味な芽をわたしは感じてしまう」。この本のおかげで、全く忘れていた「不気味な芽」が忽然と蘇った。1週間、どこか落ち着かなかった。
わずか1つの都市にしか触れなかったが、今日はここまで。
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