『日本語で読むということ』についてもう一度
水村美苗の『日本語で読むということ』に触れられている彼女の母親、水村節子が書いた小説『高台にある家』が抜群におもしろいが、これについては後日書くことにして、忘れないうちに『日本語で読むということ』についてもう少し触れておく。彼女のポイントは12歳で渡米し、大学院を出てから帰国したことにある。
そしてアメリカにいた間、「中学生や高校生のときは、母が荷物に入れてもってきた、祖母の時代の円本などを読んで育った。そのあとは、アメリカの大学の図書館で文学全集や個人全集を読んだ。/その結果、私にとって日本語の作家とはとうに「死んだ人」たちを意味するようになったのである」「三十歳を超えて日本に帰ってきたとき、驚いたのは、生きている人たちの書く日本語であった」
「なぜ日本語が変わってしまったのかはわからない。戦後民主主義教育の中で、戦前の日本を否定すること、それが歴史を否定することにつながり、そのうちに、その否定がたんなる忘却となったのだろうか」「日本に帰ってきたときに受けたその衝撃から立ち直れず、以来、生きている人たちの文章を読むのもおおむね断念した」
実は私も高校生の時から入院が多く漱石や鴎外や芥川(プラス、加藤周一や森有正に林達郎)を読み過ぎて、そのうえに大学入学直後に休学して一年間病床にあったこともあり、大学に入った時にこんな感じを味わった。自分より遥かに年上の大江健三郎がせいぜいで、それより若い世代は読めなかった。それは何となく引きずって、最初の職場に勤めていた時まで頭のどこかにあった。
それを徹底的に打ち砕いたのが、新聞社勤務だった。そこには「文学」はなく、あるのは今起こりつつある現在のみだった。そこは年を取っても「若い人」ばかりだった。文化部で思想を担当しているような記者も、流行語もはやりの歌も知っていて実に軽いのに驚いた。それから私もどんどん軽薄になり、現在に至る。
しかし「元文学青年」の気持ちは今でもわかるつもり。そんなところが水村美苗の小説やエッセーが好きなのだろう。さらに外国暮らしもあるし。外国暮といえば、今もドイツに住んでいる作家、多和田葉子の「朝日」の連載小説『白鶴亮翅』(はっかくりょうし)がおもしろ過ぎるが、これについては別途書く。
水村美苗に戻ると、先ほどの文章は彼女が関川夏央の本について論じたものの出だしだった。彼の文章を「まるで死んだ人が書いたみたいだ」と思い、書評を書いている。本の帯には「それでも私は死んだ人を好む。みな、その書きものを通じて親しくなった人たちである。彼らの書きものには恩義がある」。最近、「死んだ人」の作った映画ばかり見ている自分のことを考えた。
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