「イタリア式喜劇」をめぐって:その(2)
「イタリア式喜劇」はイタリアの映画史家エンリコ・ジャコヴェッリによれば、1958年のマリオ・モニチェッリ監督『いつもの知らぬ男たち』に始まり、1980年のエットレ・スコラ監督『テラス』に終わるという。ここで重要なのは、この2本とも日本では劇場公開されていないこと。
つまりは、「イタリア式喜劇」なるものは日本では全く浸透していない。ではなぜ1958年に始まったのか。イタリアの喜劇は1930年代にはマリオ・カメリーニ監督(『ナポリのそよ風』など)がいるし、バスター・キートンを思わせる天才喜劇役者トトも映画での活躍を始めていた。
「イタリア式喜劇」がそれまでと違うのは、それがイタリアの空前の高度経済成長を背景にしたものであることだ。これは1958年から1963年まで続くが、高速道路ができて自動車やテレビやレコードや冷蔵庫が売れて、突如消費社会が誕生したという。1952年からの10年間でイタリアの国民総所得は2倍になった。
日本も池田勇人首相が1960年に「所得倍増計画」を掲げていたけれど、イタリアもいわゆる昭和的な感じでみんなモノを買い始めたのだろう。だから「イタリア式喜劇」では「自動車」や「ビーチ」がテーマの場合が多い。これまた日本の「太陽族」のようなものだ。
イタリアは伝統的にミラノなどの北部が豊かでシチリアなどの南部が貧しい図式があるが、「イタリア式喜劇」は北部や中部の都会劇が多い。日本でも公開されたディノ・リージ監督『追い越し野郎』(1962)は、ヴィットリオ・ガスマンがジャン=ルイ・トランティニャンを誘って派手なドライブを繰り広げる映画だが、あの能天気な「永遠の夏」の感じがそうだ。
好景気を典型的に見せる映画にヴィットリオ・デ・シーカ監督の『黄金の5分間』Il Boom(1963)がある。これまたデ・シーカなのに日本未公開だが、金持ちの将軍の美人の娘と結婚したアルベルト・ソルディが都会をうまく立ち回ってパーティ三昧の生活を送る話である。ところが次第に金がなくなって、リッチな生活を続けるために彼は片目の不自由な建設業者の社長に自分の片目を売る。
原題の「イル・ブーム」はまさに経済成長を意味する。「イタリア式喜劇」についてイタリアで語られる時によく使われるのが、この作品でソルディがガラスの目玉を不安そうに自分の眼に当てている写真だ。「イタリア式喜劇」は実は終わりは悲劇が多い。派手な生活は実は続かない虚構のものだというのが、映画の終盤に出てくる。
『追い越し野郎』は2001年に自分が企画した「イタリア映画大回顧」で見たので覚えているが、ランチャのオープンカーを派手に飛ばす2人の車は最後に事故にあい、トランティニャンはあっけなく死んでしまう。「イタリア式喜劇」は実は最後は「喜劇」ではないところが、1930年代のカメリーニの映画とは決定的に違っている。
そういえば「太陽族映画」の『狂った果実』(1956)も、最後は津川雅彦のモーターボートが石原裕次郎と北原美枝の2人が乗るボートに突っ込むシーンだった。
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