『カモン カモン』に見る21世紀の映画
マイク・ミルズ監督の『カモン カモン』を劇場で見た。先週見たコンチャロフスキー監督の『親愛なる同志たちへ』に続いて再び白黒の映画だったが、正反対の映像だと思った。『親愛なる同志たちへ』は過去を冷徹に見つめることで現在を浮かび上がらせ、『カモン カモン』は現代をノスタルジックに見せることで甘美な世界へと誘う。
ホアキン・フェニックス演じるジョニーは、ラジオのドキュメンタリー番組を作っている。今どきラジオという反時代性。そして子供たちの話を録音するばかりでなく、街頭や公園や海岸の音を記録してゆく。彼はデトロイトに住んでいるが、妹(ギャビ―・ホフマン)からの電話でロサンジェルスに向かう。
妹は音楽家(たぶん指揮者)の夫が精神的に不安定で入院させる必要があり、息子のジェシーの世話をジョニーに頼む。ジョニーは仕事でニューヨークに行く必要ができて、ジェシーを連れてゆくことになる。子供を育てたことのない中年男と、複雑な両親の下で育った生意気で扱いにくい少年との旅が始まる。さらにジョニーはニューオリンズへも甥を連れてゆく。
ジョニーと甥の絶え間ない言い争いの合間に、インタビューされる各地の子供たちが未来について話す姿と言葉が挿み込まれる。そこにジョニーと妹との電話やメールのテキストも混じる。さらに各地のさまざまな風景から聞こえてくる音が録音される。実は映像も写っているのだけれど、映画はあくまで音を強調する。
見ていると、優しいジョニーに対して自分勝手なことばかり言う甥のジェシーがうっとうしくなる。そのおおもとは、精神疾患のある父親とそういう彼が好きな母親の込み入った愛憎で、これまた見ていていらいらしてくる。その面倒ないさかいを、映画は子供たちの言葉と、街のさまざまな音に交えて優しく見せる。
父親が音楽家であることもあり、ジェシーは朝から大音量でモーツァルトの「レクイエム」を聞くし、クラシック音楽もさまざまな音に交じって聞こえる。それはなぜか白黒の映像とあいまって心地よい。
見ていると、私には長いミュージック・ビデオのように思えてきた。出てくる人々に本当の悪はないし、決定的な不幸もない。わけもわからずもがきながら何とか生きるアメリカ人たちを描く交響曲に合わせる映像である。これは明らかに映画の退廃だけれど、この耽美的な快楽はある意味で21世紀的な映画の一方向でもある。
これを好きになるかどうかで確実に分かれる映画だと思う。
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コメント
<この耽美的な快楽はある意味で21世紀的な映画の一方向でもある。
示唆に富む指摘ですね!
私は物語の設定からのストーリー展開にズルさを感じとりました(笑)
このズルさもある意味で21世紀的なのかもですね!
投稿: onscreen | 2022年4月28日 (木) 07時27分