「ダミアン・ハースト 桜」展に考える
国立新美術館で5月23日まで開催の「ダミアン・ハースト 桜」展を見た。ダミアン・ハーストは、だいぶ前にホルマリン漬けの動物の展示をベネチア・ビエンナーレで見たくらいで、名前だけは知っているがきちんと見たことがなかった。国立の美術館でやる大きな個展は日本人も外国人も基本的に見ることにしているので、空いた時間に行ってみた。
会場に入ると、広い新美の企画展示室を真ん中に壁を2つだけ立てて広々と使っていた。そこにかなりの数の若い男女が話しながらみんなスマホをかざして写真を撮り合っている。最初この光景を見た時、「失敗したかな」と思った。だいたいクリスマスのイルミネーションでも何でも、みんながスマホをかざすものはすべて苦手だから。
全部で20点あまりの大きな絵が並んでいる。一番大きなものは5m×7mを超すもので、つき当たりの一番奥の壁一面を占める。どれも描かれているのは桜だが、写実的な絵ではない。ピンクと青を中心に、なぐり描きのようにキャンバスに絵の具が叩きつけられている。
最初、イギリス人のダミアン・ハーストが日本の国花である桜の絵を描くと聞いて、ある種のジャポニスムのようなものを想像した。印象派以来の日本趣味が支配するのではないかと勝手に思っていた。しかしその要素は全くない。
むしろゴッホのように情念の塊を何とかキャンバスに定着させているような気がした。あるいはポロックのような抽象表現主義といったらいいのか、絵具の勢いそのものと色彩感覚で絵にしてしまっている。つまるところ具象と抽象の間を行ったり来たりしながら、不思議な世界を作り上げている。
2週間ほど前まで、日本は桜が満開だった。今でもまだ枝に花が残っている。この現実の桜とはおよそ似ていない。しかしハーストの20を超す桜の絵には、桜の持つ生と死、繁栄と退廃、陰と陽、希望と絶望といったものが、エネルギッシュに力強く表現されているような気がした。たぶん1点だけ見てもわからないが、これだけの量をこれだけ広い空間でゆっくり見ると、絵画の魅力そのものが伝わってくる。
いったいこれはどうして描いたのか。私は、横たえた大きなキャンバスの周りを大勢のアシスタントたちがでかい棒の先に筆を付けて塗りたくっている図を想像した。ところが展示の奥の小部屋にあった20分ほどのビデオを見たら、全く違っていた。
キャンバスは壁に固定されて、絵具缶を持ったハースト本人が梯子を使って描いていた。絵具を投げつけたり、べっとりと張り付けたり、やり方も色も気分次第。その気分が絵画の明るい勢いを作り出してゆく。描くことに没入する彼の様子が、そのまま見る者の没入感を作っていると思った。
ビデオによれば、コロナ禍のロックダウンでアシスタント達が来られなくなり、たった一人で描いたという。美術評論家のインタビューに答えながら、彼はゴッホ、ボナール、ポロック、ベーコンなどに触れていた。私はふだんはこういう解説ビデオは1分ほどしか見ないが、これはおもしろくて最後まで見た。
パリのカルティエ現代美術館の企画の巡回というが、具象と抽象、絵画とパフォーマンスなど対立する概念を統合させる「お見事」な展示だった。
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