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2022年4月 4日 (月)

『ベルファスト』の熟練の技を楽しむ

ケネス・ブラナーは才人である。俳優としてもよく見るが、『オリエント急行殺人事件』のような娯楽大作の監督もやる。今回の『ベルファスト』は、白黒で万人向けではないアート系の渋い作品。

冒頭、現代のアイルランド、ベルファストが写る。何とも気持ちよさそうな港町だが、それが1969年と出て白黒へ変わる。その白黒が実に陰影があって心地よい。舞台はベルファスト市の家や商店が並ぶ路地。9歳の少年バディは両親や祖母と仲良く暮らしているが、そこに突然暴動が起こる。

プロテスタントの過激派が「カトリックは出ていけ」と家を壊し始めたのだ。バディの家はプロテスタントだが、母親は身の危険を感じる。建築業の夫はロンドンに出稼ぎで時々しか帰ってこない。バディは祖母とも仲良しだ。

いろいろあって、結局バディは両親と共にロンドンに出てゆく。それだけの話だけれども、バディが学校で好きになる女の子、収入が増えるからといって愛した土地や友達を離れることに悩む両親、祖母に愛の言葉を捧げ続ける祖父など魅力的な人物や場面が次々に出てくる。

バディが映画館で見るのが『チキチキバンバン』だったり、クリスマスの贈り物に「サンダーバード」のおもちゃがあったりと、懐かしいなと思っていたら、バディは私の世代だった。というより、ケネス・ブラナーの自伝的映画で彼は私より1つ上。アイルランドの港町と九州の片田舎でも似た娯楽を楽しみ、何より路地で遊びまくる感覚が似ていたのが嬉しかった。

登場人物は子供たちを含めてみんな魅力的だが、特にジュディ・デンチ演じる祖母とキアラン・ハインズの祖父が見ているだけで嬉しくなった。終盤のジュディ・デンチの表情には胸を打たれた。シンプルだがユーモアと情感溢れる脚本、まるで日常のような自然な演技、住民や街を愛おしむようなカメラ、どれをとっても熟練の技である。

そういえば、テレビでみんなが見ていたのがゲイリー・クーパー主演の『真昼の決闘』(1952)だった。この音楽が父親が過激派に向かってゆく終盤にもう一度流れる。西部劇としては、ゲイリー・クーパーの保安官が住民たちに手伝ってくれと頭を下げまくる展開が評判が悪いけれど、あのたった1人で4人の殺し屋に向かうラストは、やはり好きな人はいるのだと思った。

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