『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ』の自由さ
ルーマニアのラドゥ・ジューデ監督の『アンラッキー・セックスまたはイカれたポルノ』をようやく見た。ルーマニアの現在を皮肉ったエッセーのような自由自在な作品で、日本にはないタイプ。人によっては「これは映画ではない」と言うかもしれないが、昨年のベルリンの金熊賞受賞作だ。
第一部、名門中学の教師・エミはブカレスクの街をイライラしながら歩く。自分と夫との性行為の映像が、ネット上に流出したからだ。夫が趣味で撮影したものがパソコンを修理に出したのが原因らしい。その日の夜には保護者達との会議があり、落ち着かない。薬局で安定剤を買って飲むが。
コロナ禍でマスクをして歩くが、マスクをするしないであちこちで揉めている。違法駐車を注意されて逆切れする者もスーパーのレジで揉める者もいる。ブカレストの街にはろくでもない者しかいないかと思いながら校長の家に着くと、そこには寝たきりの老婆が垂れ流し状態。
第二部はいくつものテーマで短い映像が果てしなく出てくる。「真実」「戦争」「先住民」「ペニス」「ポルノグラフィ」と言った言葉が出て映像が流れるが、半分くらいしか意味がわからない。たぶんルーマニアの歴史や社会や文化を知らないと、そのブラックユーモアの感じはすべては理解できないが、それでも楽しい。
第三部は学校の中庭での保護者との懇談会というより弾劾に近いものが始まる。まずは彼女の流失した映像を確認し、保護者は「子供たちが騒いでいる」「恥ずかしい」と口々に言う。エミはいたって冷静だが、父兄は保守的だったり、単に自慢をしたり、人種差別発言があったりと滅茶苦茶だ。次第にエミのまともさが際立つ。
ここでもルーマニアの詩人エミネスクや軍人の英雄アントネスクの話などがどんどん出てきて、知らない私はなかなかついていけない。しかし父兄たちがいかに愚劣かだけはしっかりと伝わってくる。
ラストは父兄の投票結果に3つのエンディングが用意されている。エミが勝つ、負けて辞表を出す、負けて反撃に出るの3パターン。実に人を食ったような展開だが。実は反撃に出る場面もそうだが、猥褻なシーンは映画の冒頭を始めとして日本向けに監督が「自己検閲」をしている。画面の大半を隠してそこに「見られなくて残念!」「検閲=金」などの言葉を入れて音だけを聞かせる。
日本式のボカシではなく、そのような「自己検閲」バージョンを自ら作ることも含めて、権力や保守的な人々を徹底して笑いのめす姿勢は一貫している。日本にもこんな映画があっていい。
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