酒を飲んで映画を見ると
昔、北イタリアのポルデノーネの有名なサイレント映画祭に行った。そこで会った映画史家の小松弘さんと夕食をした時、彼が「僕はこの後に映画を見るので酒は飲みません」と言ったのに驚いた。私にとって海外の映画祭とは、夜においしいものを食べてワインを飲むのが定番だったから。
そんなことを思い出したのは、最近自宅で夕食後にDVDで映画を見たら、翌日すべて忘れていたから。私はワインだと一晩に3/4本までが適量だ。1本飲むと翌朝ちょっとだけ重い感じがする。1本半を超すと午前中つらい。昔だと2本を超して夕方までつらいことがあったが、さすがに今はない。
かつてはどんなに飲んでも話した内容は覚えていた(と思う)。今は1本を超すとほぼ記憶がない。それでもタクシーに乗って帰宅してシャワーを浴びてパジャマで寝るのは、その習慣が体に染みついているから。若い頃は服のままソファで寝たこともあったが、それは35歳くらいまで。
先日DVDを見た時は、ワインは少な目にした。たぶん2/3本くらい。その後に既に30分ほど見ていた映画の続きを見た。見たのは今井正の『にごりえ』で授業の準備だった。見た時は何となく明治情緒に浸っていい気分になった気がするが、翌朝メモを作ろうとすると全く覚えていない。
もちろん寝ていたわけではない。ただしぼんやりと見ていたので、あまり登場人物に気を使わなかったのだろう。この映画は3部に分かれており、酔った後に見たのは後半の2つ。こういうオムニバス形式にはどれも最後にオチがあるのが普通だが、2つ目の「大つごもり」では久我美子の盗みがバレずにすみ、「にごりえ」では淡島千景が昔馴染みの宮口精二に無理心中を図られる。
その決定的なシーンの記憶が全くなかった。何となくおもしろかった気分だけが翌朝まであったのが不思議だ。考えてみたら飲み会でも「楽しかったが後半は何を話したか覚えてない」ということが最近多い。楽しむことと記憶することは全くの別物だった。
夕食後に飲みながら原稿を書くという友人がいる。原稿を書くのは記憶ではないので、気分が乗ればできるのかもしれない。論文などはともかく、詩や小説ならばその方がいいかもしれない。
私は飲んだ後は、急ぎ以外はメールに返事をしないことにしている。翌朝見ると、ヘンな冗談が混じっていたりして恥ずかしいから。もし「飲む」時の腦のメカニズムについての本があれば読みたい。
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 堀越謙三さんが亡くなった(2025.06.28)
- 連れだって歩く人々(2025.04.05)
- 万歩計を始めた(2025.03.28)
- 中条省平さんの最終講義(2025.03.18)
- ジュリーのこと(2025.02.12)
コメント