アケルマンをもう1本
『ジャンヌ・ディエルマン』を見て、あの退屈さが妙に残ったので、空いた時間にもう1本見ることにした。40年近く前に見たはずの『私、あなた、彼、彼女』(1974)だったが、これは『ジャンヌ・ディエルマン』にも増して孤独と倦怠の映画だった。
ベッドしかない部屋の中で、女が一人でいる。シャンタル・アケルマン本人だ。手紙を書いたり、袋から砂糖をすくって食べたり、寝たり。そこに「私は手紙を書いた」「何もせずに一日が過ぎた」といった一人称のナレーションが入る。カメラは固定だが、時おりベッドの位置が変わると違うカットになる。
私はなぜか砂糖を食べるシーンはよく覚えていた。たぶん自分も金がなくてカフェの砂糖を持ち帰っていたくらいなので、砂糖を食べる行為がリアルだったのかもしれない。途中から裸になって豊かな胸も見える。洗面台のそばに座り込む。絶えず車や人の声など外の音が聞こえる。ある日から外は雪が何日も降った。
私の記憶だとこのままだったような気がするが、たぶん昔はそのあたりから寝たのだろう。女は晴れると夜の通りに出て、ヒッチハイクをする。トラックの運転手(ニエル・アレストリュプ)に拾われるが、その男は彼女を食堂やバーに連れてゆく。そして仲間に紹介したり、トラックの中で自分の妻や子供の話をしたり。
最初は女が「キスしたいと思った」という独白もあるが、途中からは男の話のみ。「たまに若い女を乗せて、関係することもあるよ。その時限りだけど」などと話しながら、次第に女の手を自分の局部に引っ張り、撫でさせる。女はたまに横顔が写るだけ。彼女が嬉しいのか悲しいのかもわからない。
ある時女はトラックを降りて、女友だちを訪ねる。そこで初めて会話が出てくる。女友だちは彼女にパンを食べさせ、飲み物を用意する。しばらくすると「明日は出ていってね」と言ったのに、女たちは抱き合う。これがえんえんと続く。まるでプロレスのよう。
だいたい、最初の部屋に1人が30分、トラックの助手席やバーが30分、女友達の家が30分くらいずつか。最初に「孤独」とか「倦怠」とか書いたが、彼女が何を考えているかは一切わからない。内面もなく、何かの本能や衝動に衝き動かされる女の姿が写るだけ。それでも明らかに「女」がテーマになっている。このあたりの根源的なジェンダー感覚はアニエス・ヴァルダとは大きく違う。
人間存在の根源的追及は、同時代のジャン・ユスターシュやフィリップ・ガレルに近い。70年代のフランスの若者には、ゴダールやヴァルダのような自己主張や肯定感がない。80年代に呑気な日本の若者だった私は、そんなことを考えた。
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