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2022年5月10日 (火)

大江健三郎と村上春樹が似ているとは

高橋源一郎さんと斎藤美奈子さんは、私が信頼する書き手だ。彼らが書いた『この30年の小説、ぜんぶ 読んでしゃべって社会が見えた』という新書があったので買ってみた。まずわかったのは、彼らが語るこの30年の小説を私がほとんど読んでいなかったこと。

考えてみたら、本はいつも読んでいるが半分は映画の本だし、それ以外はエッセーやノンフィクションが多く、自分にとって「小説」は敷居が高い。せっかく買ったこの本は、自分が読んだ本や知っている作家の部分だけを読むことになった。

この本で一番おかしかったのは、村上春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』と大江健三郎『晩年様式集 イン・レイト・スタイル』を論じたところ。高橋「村上春樹と大江健三郎は同じっていう説、斎藤さんに話したことあったっけ?」から始まる。

高橋「ぼくはふたりとも無意識であることを意識的にやった人だと思うんです。で、それも意識の外側に消えた」

斎藤「最初は意識的に形をつくったけれども、だんだんそれに同化していって、天然でできるようになった。大江健三郎から理屈っぽい部分を除くと村上春樹になると、デビュー当時から言われてましたね」

高橋「もともとすごく人工的でしょう、スタート地点が。ふたりとも翻訳文体で。翻訳の文章というのは、「これが自分でない」ということが担保できるものなんです。自分を消すということが、大きなテーマになっている」

斎藤「でもすごく浅くいうとさ、自分探しものですよね。高校時代の友人たちを訪ねていくわけだから、ちょっとロードノベル的なところもあって。でも、すべてお膳立てしてつくるを過去に旅立たせるのも女、彼を未来に向けて押し出すのも女(笑)。結局、女に甘えてません?」

こんな具合だが、まずこの2人が似ているという指摘にびっくりした。考えてみたら、大江はノーベル賞作家だし、村上はその候補と言われてだいぶたつ。大江はかつては神様のようにあがめられていたし、村上には世界中にファンがいる。二人とも独自の路線なのは、ここにある新作の題名だけを見てもわかる。

私は村上の『色彩を』は読んだが、大江の方は読んでいない。村上の小説はヘンだが読みやすい。大江の小説は表現が回りくどくて疲れるという印象が強いので、30歳を超えてからは読んでいない気がする。この2人が似ているというのは、何だかわかる気がする。自己肯定の強さというか、ヘンなものを貫き通す感じというか。大江のこの小説も読んでみたくなった。

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