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2022年5月30日 (月)

セザンヌと見る「柴田敏雄と鈴木理策」展

アーティゾン美術館は改装開館以来、現代作家の作品と所蔵作品を組み合わせる「ジャム・セッション」というシリーズを続けている。森村泰昌に次ぐ第3回は、柴田敏雄と鈴木理策の2人の写真家とコレクションの組み合わせで「写真と絵画ーセザンヌより」と銘打たれている。

もともと絵画は、19世紀半ばに写真が生まれてから急速な変化を遂げた。簡単に言うと、写真の出現によって写実、特に肖像画は不要となり、画家は野外に出て目に写るままを描くようになって印象派が生まれた。一方写真は20世紀になると、シュルレアリスムなどさまざまな芸術運動の影響を受けながら、写実からはみ出そうとする。

柴田敏雄氏の写真はダムや橋などの建築物をかっちりと撮ったものが多いが、何気ない風景なのにどこからか異常な構造の美が生まれている。鈴木理策氏の写真は普通の風景からに垣間見える揺らぎのようなものを、被写界深度を浅くしてあえて一部をボケさせながら見せる。手法もスタイルも違うが、結果として不思議な光景が立ち上がる点は同じ。

コレクションの方はセザンヌを中心に、柴田氏は藤島武二、マティス、モンドリアン、カンディンスキー、円空を加え、鈴木氏はモネ、クールベ、ドニ、ボナールなどを一緒に見せる。特に鈴木氏はモネが睡蓮を描いた「ジヴェルニー」やセザンヌが晩年に書いた「サント=ヴィクトワール山」や使ったアトリエ自体も写真に撮っている。

あるいはいつもは日本画などがある暗い部屋では、15世紀の雪舟の《四季山水図》の右に柴田氏のダムの写真3点、右に鈴木氏の雪山の写真が2点。なぜかこれがしっくりとマッチしている。リアルでなく、抽象的夢想的な風景が通じ合う。

鈴木氏は現代人が鏡を覗き込む顔をそのまま写真として撮っている。本来ならば自分以外は誰も見ない顔だが、そのちょっとヘンな写真に、古代エジプトの肖像画や岡田三郎助、アングル、古賀春江、岸田劉生やビゴーの肖像画を組みわせる。小さな部屋にジャコメッティの鏡像があり、その前に鏡があり、左側にはそのデッサンと鏡像を撮った写真を並べている。

こうなると絵とは何か、彫刻とは何か、写真とは何かにまで向かう。とにかく柴田氏の滝の写真の前に円空の木彫があるだけでかっこいいし、鈴木氏の光の煌めく森を撮った写真の横にボナールがあるとぴったりくる。あまり期待せずに見に行ったがなかなかの好企画。7月10日まで。学生は無料。

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