『流浪の月』への違和感
公開が始まった李相日監督の『流浪の月』は実は4月に試写で見ていたが、どうしても違和感があったので公開後にアップする。2時間半が私にはとにかく長かった。『パラサイト』や『バーニング』を手がけた韓国の撮影監督、ホン・ギョンピの映像は息を呑むようにすばらしい。しかし私は最初から最後まで落ち着かなかった。
最近、ヒットした小説を原作とした映画で過去の傷跡を負う男女の現在、という設定がやたらに多い。小説として読む分には多少の誇張はおもしろくても、映画の場合はそれぞれの時代にかなりのリアルさがないと、作りものに見えてしまう。
今回の最大のポイントは、松坂桃李演じる文(ふみ)が15年前と全く同じなこと。最初に文が少女の更紗と出会う雨のシーンがある。この時は更紗の顔がよくわからなかったので、彼女が文の家で暮らし始めた時は現代の話かと思った。そして今はカフェを営む文は、15年後もほぼ変わっていない。
次に成人した更紗(広瀬すず)がカフェで再会して、なぜ黙って通い続けるのかもわからない。本当に好きならそれではすまないはず。そして頭の悪いDV男と住んで追い回されるのもおかしい。そんな男からはすぐに逃げればいいのに。そしてこっそり文のマンションの隣の部屋に住み始めるのもヘンだ。そもそもそんなお金があったら、あんなDV男と一緒に暮らしはしないだろう。
そもそも15年前の事件がわからない。文が未成年の娘を誘拐していたという容疑だが、彼女と関係があったかは調べたらすぐにわかること。更紗の家庭に問題があったことの描写がなく語りだけの簡単な説明のため、彼女が家を出たかった理由もよくわからない。
更紗はその時に家庭に問題があって自分の意志で文と住んだことを警察に言えなかったことを後悔しているが、そんなことは捜査ですぐにわかるはず。少なくとも世間を騒がせるような事件にはならないのではないか。すべてを抱え込んだ更紗の姿が不可解だ。
そしてDV男の迷惑行為がえんえんと続くのを見るのもつらい。見込みのない愛なのにここまでやるバカはいないだろうに。そして文の母親(内田也哉子)との会話も妙だ。少年院を終えた文を離れの小屋を作って彼を閉じ込めたというが、大人にそんな必要があるのか。あるいはそうされても出ていけばいい話である。そもそもこの犯罪では少年院には行かないだろうが。
そして15年前の同じ映像を何度も何度も見せる。全編にわたってありえない構成でこれだとくどいとしか思えない。凝りに凝った盛り上げる音楽も私には逆効果だった。実力派の李相日監督の映像の強度は十分に感じながらも、なぜか私には今回はピンとこなかった。映画は、そんなこともある。
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