ようやくアケルマン特集に行く
シャンタル・アケルマンは昔から時々見ている。1984-85年のパリ留学中に『私、あなた、彼、彼女』(1974)をみて衝撃を受けたが、数日後に封切られた新作『ゴールデン・エイティーズ』を見てがっかりした記憶がある。それから2011年、ベネチア国際映画祭で『オルマイヤーの阿房宮』に感激した。
2016年には遺作の『No Home Movie』をパリで見た。そんな具合に飛び飛びの状態だったから、今回の特集の5本をまとめて見たいと思った。ところが例によって時間が取れない。ようやく代表作と言われる『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(1975)に行った。
3時間20分、高校生の息子と2人で暮らすシングルマザーを3日間追っただけの作品だが、退屈なようでそうではない。なぜならこの映画は「退屈」や「倦怠」そのものをテーマにしているから。
朝起きて朝ご飯を準備して息子の靴を磨いた後に起こす。息子が出てゆくと郵便局に行ったり、買い物をしたりして家に帰ると、夜ご飯の下ごしらえをする。昼頃には同じアパートの赤ちゃんを一時預かる。昼はパンなどを軽く食べると、「ジー」と呼鈴が鳴って男が入って来て、奥の寝室に行く。次にはお金を払って帰る姿の男が写る。
夜には息子が帰って来て一緒に夕食をするが、なぜか息子はあまり食べない。ちなみに3日間の夕食は、ビーフシチュー、カツレツ、ミートローフとご馳走ばかりなのに。夕食後は2人で散歩するのだから仲が悪いわけではないが、会話はほとんどない。息子は居間のソファをベッドに組み直して寝る。
アパートに入ると右に台所でその向こうに風呂、左に居間、奥に寝室。何度も同じカットが出るから覚えてしまう。それぞれの部屋の中もベッドも同じカットで固定。切り返しもない。テレビや電話もないが後は全部揃っていて、贅沢ではないが貧しくはない。女はそれなりにお洒落をして外に出る。
お店やカフェで必要な会話をする以外は誰とも話さない。音楽も聴かず(一度だけ息子の希望でラジオの歌が流れる)本も読まず、アパートの外の車の音、料理を作る音、水道の音などのあらゆる音だけが絶え間なく聞こえる。そもそも彼女は感情そのものを一切出さず、ひたすら繰り返しのように時間を過ごす。
そして最後に爆発して、やってきたしつこい男を殺す。カナダの妹からの贈り物を開けるのに使ったハサミが寝室にあったから。それだけを200分で見せる。退屈だからおもしろかった。アケルマンなら客は老人ばかりかと思ったら、若いのに驚いた。お洒落で都現美などにいそうな女子が多い。
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